サイクリングを始めてから、自分は「一人で週末を過ごすのがデフォ」で、それを他人がどう思うかはまったく気にしたことがない。

大半のサイクリストの方なら、「うん、ソロライドふつうにするし、全然楽しいよね」、「むしろぼっちライドこそ、サイクリングの原点でしょ」って同意してくださると思うのだが、なんとなくの世間の風潮として、「一人ぼっちで余暇を過ごす」ことに対する揶揄と同情が入り混じったようなネガティブなイメージってあるじゃないですか。

と言いますのも、こないだこんなツイートを見まして…






完全に同意である。

サイクリングは他のスポーツと違って、1人でも複数人でも楽しめる。ほとんどのサイクリストは最初はソロ(仲間がまだいないので)から始め、徐々に交流の輪が広がり、グループライドの面白さに気づき、やがてイベントライドに参加して不特定多数と走る…という順番をたどる。

グループで走る楽しさはソロでは味わえないものでして、同じ趣味を分かち合う人たちと延々とおしゃべりしたり、ワイワイ食事をしたり、苦しい坂では励ましあったり、「しんどかったー!」って笑い合えるのは仲間がいるからこそ。

不思議なもので、伴走者がいると1人では越えられない坂を越えられる。絶対ムリと尻込みした距離が完走できてしまう。物理的に体力がアップしたわけでもなんでもないのに、誰かがそばにいるだけで人はがんばれる。「メンタルってこんなにも人のパフォーマンスに影響を与えるんだ」って、自転車を始めてからわかった。(初心者の頃は、脳では理解できても、内心「…本当かなあ?」って腹落ちしてなかった)

じゃあ、「いつもグループライドしかしないの?」って言われるとそんなことはなく、自分の場合はむしろぼっちライドのほうが圧倒的に多い。10回で7~8回は1人。理由は「ぼっちライドには、ぼっちならではの楽しさがある」からだ。


ということで、1人でサイクリングする楽しさ&醍醐味をまとめてみた。

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ぼっちライドの魅力その1: 誰にも気を使わなくていい

集団だと、どうしても色々配慮せねばならない。ペース、体力の差、ルート選び、メンツの親密度、休憩頻度、食事場所、集合と解散場所、時間配分…。ソロならそれらすべてから解放される。何も考えず、誰とも話さず、頭を空っぽにして無心でペダルを回せる。

なんなら行き先も決めず、どこで何を食べるかとか、どの道を走るかも計画しないまま、サドルにまたがってから、「さて、どっちの方向に走ろうかな…とりあえず荒川CRを北上して、川越にむかうか」くらいのノリで出発する。体力とその瞬間の気分で距離を延長したり、公園に寄って長めに休憩したり。

食事場所も計画せず、腹が減ったらその周辺にある店に入る。たいてい、自転車を駐輪しても目の届くすき家か松屋になってしまうのだが…。人里離れてしまい、お店が見つからなければ、コンビニで買って外で地面に座って食べる。

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孤独のグルメの主人公、井之頭五郎のセリフで、

モノを食べる時はね、誰にも邪魔されず、自由でなんというか救われてなきゃあダメなんだ。独りで静かで豊かで……

というのがある。サイクリングも同じだ。

ただ、一人で走るのはムッチャ楽なぶん、疲れたら終了。「がんばろう」「限界を越えよう」って気にはなれないので、グループで走るときよりも走行距離は短めになってしまう傾向がある。

ぼっちライドの魅力その2: あえてノープランを楽しむ

自分にとって重要なのは、「あえてノープランで出発する」ってこと。フィーリングと瞬間のノリで判断することを楽しむ姿勢で臨む。

旅行に行くときもそうなんですが、自分はあえて観光ガイドブックで情報収集せず、ざっくりな時間配分だけ考えておき、どこに行くかは現地で決める派。ガチガチにスケジュールを組んだって、どうせ思い通りにはいかないんだし、時間が余ったら早めに宿に着いてのんびり風呂に入ればいい…って考えるタイプです。

行き先で迷ったら、飲食店のおじさんとか宿の人に「ここは見とけって場所あります?」「地元の方がオススメする温泉ってどちらですか?」って尋ねて行動する。それで期待はずれだったことはほぼない。下手な観光ガイドブックより、現地の情報の方がよほど信用できるって思う。

いまなら、フェースブックやツイッター経由で信頼性の高い情報を得ることもできる。 

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余談ですが、こういうことないですか?自分がよく知る地元のガイドブックを読み、「おいおい、地元民に深く愛されるアノ名店を取り上げずに、こんなどーでもいいチェーンを載せるのかよ」的なモヤモヤ感。


「無計画すぎる旅行スタイルだな…」と我ながら呆れることもあるけど、仕事じゃないし、誰にも迷惑かけてないし、まあいいかなと。

計画とか目標とか数値分析とか達成度とかPDCAとか振り返りとか評価とかって……有無を言わさず仕事に付随するじゃないですか。どーせ逃げられないじゃないですか。だから、せめて余暇くらいそーゆーものからは解放されたいって心理が作用しているような気がする。

ぼっちライドの魅力その3: 日常ではできない考えごとして、思考を整理できる

映画俳優、ロビン・ウィリアムズは「サイクリングとは動的な瞑想である」という名言を残している。サイクリングの素晴らしさをここまで端的かつ的確に表した言葉はないと思ってて、今後積極的に伝えていくつもり。

>> サイクリングのモチベーションを上げてくれる10個の名言

サイクリング中って無心でありつつも、脳はフル回転してまして、同時進行で色んなことを考えているもの。

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瞑想の内容は人それぞれだと思うのだが、自分が考えてしまうのはこんなかんじ

「5年後の仕事人生(やりたいことができてるか?やれてないことはなんだ?どうしたらできるんだ?)」

「子供たちの成長&進路の応援(どんな大人になるんだろう、どんなサポートができるんだろう、どう準備しておこう?)」

「健康と病気予防(事故や病気と無縁でいるためには?死ぬ間際までサイクリングし続けたい、健康寿命を最大化するためにどんな習慣をする&やめるべきだろう、健康診断の結果を見て振り返らなくちゃ)」

「もう何年も会っていない知人、友人、大学時代の同級生、恩師や上司などお世話になった方々の近況(今どうしているんだろう、元気だろうか、連絡を取ってみようか)」

「自分と家族の幸せ(お金とか名誉とか物質的満足とか即物的ではない、もっと根源的なものってなんだろう、日々の忙しさにかまけて大事なことを見失ってないか)の再定義」

あたりですね。


あと、情けないハナシですが、ずっと心にしまってた古い記憶(元カノとか学生時代にフラれた女の子)をほじくり返して、「いま◯◯歳か…結婚しているだろうなぁ…どんな奥さんになって、どこに住んでいるんだろう、子供はいるのかな、幸せになっているのかな、いま道ですれ違ったら互いに気づけるのかな」とかネチネチ考えてしまう。ペダルを回しながら。(自分だけかな…わりと男性ってやると思うんだが…)


出発から帰宅直前まで長時間を考えごとに使えるので、かなり思考の整理ははかどる。サイクリングを終えて帰宅する頃には「日常モード」に切り替わり、スッキリした状態で生活に戻れる。

誰にも何にも邪魔させず、あれやこれや想いを馳せるにはソロライドがベストではなかろーか。悩み事があったら、部屋に閉じこもるのではなく、ぼっちライドがオススメ。ココロもカラダもリフレッシュできます。


以上、ぼっちライドの魅力が伝わるとうれしいです。( ◠‿◠ )




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