「自転車旅は(ほぼ)ノープランのほうが楽しい」と最近つくづく感じている。

想定以上に早く疲れることもあれば、意外にスイスイ行けてしまうこともある。平坦かと思ってたら坂が多くて休憩が増える。途中で絶景に出会ってしまって、つい長時間見とれてしまう…。よって、なかなか事前のプラン通りには進まないものなのだ。

しかし、これはあながち悪いものではない。むしろ好都合。「予定が狂う=苦痛」…と考えるのではなく、むしろハプニングを積極的に楽しめばいいのだ。旅はアドリブが面白い。

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オクサマはその逆で、事前のプランニングをガッチガチに組みたがるタイプである。

余談だが、彼女は「推理小説をまず後ろから読み、こいつが犯人かー!って特定してから最初に戻る」。そのほうが安心して読み進められるらしい。「ミステリー映画はすでに観た人からオチを教わってから観る」…という摩訶不思議なポリシーを持つ。作者が知ったら泣くんじゃないか。

そんなオクサマにとって、先行きが見えない旅はストレスでしかないのだが、何度がノープラン旅に連れ出しているうちに、「何が起きるかわからない」のを面白がりはじめた。出たとこ勝負でその場その場で意思決定していくスタイルに慣れてきた様子。

先日、栃木県の大田原市で(ほぼ)ノープラン一泊二日自転車旅をしてきたので、こんなかんじで楽しみましたというのを共有したい。

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/東京から166キロの場所\

なぜ大田原市を選んだのか?→ただなんとなく

(´・ω・`) 海と山のどっちがいい?

J( 'ー`)し うーん、山かな。海は風が強そう

(´・ω・`) 埼玉からアクセスしやすいのは栃木か群馬だな…関越は渋滞しやすい印象だから、東北道で行ける栃木でいい?

J( 'ー`)し OK、でどこに?5月には宇都宮と日光に行ったから違う場所がいいな

(´・ω・`) もうちょい足を伸ばして、那須方面にしよう。ただ、この時期の那須は人気で宿も取りにくいだろう

J( 'ー`)し 那須ハイランドパークとか、牧場とか、温泉とか、紅葉とか、観光名所が多いから、サイクリスト以外にも観光客が大勢押し寄せるかもね

(´・ω・`) じゃあ、東北道を挟んで逆方向にある大田原市に行ってみない?

J( 'ー`)し オオタワラシ…?何があるの?どんな場所?

(´・ω・`) わからん。行って確かめればいいじゃん。Googleマップで史跡とか神社とかで検索すると…ふーむ、那須神社がある。あと、松尾芭蕉の館ってのもあるな。なになに…雲巌寺(うんがんじ)は芭蕉も立ち寄った場所らしい。禅修行のための道場ではあるものの、一般人も自由に拝観が許されているっぽい。どれくらい観光客がやってくるのかはわからんが

J( 'ー`)し 温泉はあるのかしら?

(´・ω・`) 周囲を温泉で検索…っと。規模も評価もわからんが、とりあえずいくつかはあるっぽいぞ

J( 'ー`)し 坂はあるの?

(´・ω・`) まあ、それなりにあるんじゃない?行けばわかるだろ。激坂すぎたらルートを変えればいい

J( 'ー`)し 何キロ走るの?ランチの場所は?

(´・ω・`) 適当で。当日の体調と気分で決めよう

J( 'ー`)し 大まかな立ち寄り場所を決めるだけで行くってわけね。でも、せめて宿泊先だけは決めないとマズイよね?

(´・ω・`) Googleマップで西那須野駅周辺のビジネスホテルを検索っと。いくつかありそうだ。適当に電話しよう……もしもし?●月●日に大人二人でツイン1室禁煙なんですが…(以下、数カ所のホテルに電話)

J( 'ー`)し どうだった?

(´・ω・`) ルートイン西那須野に決まりました。朝食付き。夕飯はないので適当に現地で探そう

J( 'ー`)し OK

…と、こんな具合でさくっと決定。


那須神社、芭蕉の館、雲巌寺、どっかの温泉(未定)をリストアップした。行けたら行くし、気分が乗らなければ変更する。他に良さげなものを見かけたらいつでもプラン変更する。観光雑誌やウェブ記事は一切見ない。Googleマップで見た画像だけが頼り。

行ってみたら「思ってたのと違う…」ってなるかもしれないけど、それもまた楽し。プランニングに時間がかからないので実に楽チン。

道の駅 『那須与一の郷』へ向かう

当日は早めにパンダで出発。渋滞する前に通過する目論見である。途中、サービスエリアでパンとコーヒーを調達して朝食。
※オクサマは電車輪行が嫌い(自転車を持つのが嫌だそうな…)。助手席で爆睡。いいご身分だ…。

矢板ICで降りて 道の駅 『那須与一の郷』 へ。渋滞なしだったので8時半に到着。ここを拠点に移動することにする。

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那須与一とは…
平安時代末期の武将・御家人。系図上は那須氏二代当主と伝えられる。主君は源頼朝。一般的に宗隆と紹介されることも多いが、家督を相続した後は資隆と名乗ったと伝えられる。幼い頃から弓の腕が達者で、居並ぶ兄達の前でその腕前を示し父の資隆を驚嘆させたという地元の伝承がある。
引用元はウィキペディア

農産物の直売所、レストラン以外にも那須与一の伝承館ってのがあって、入館料は300円かかるが、屋島の合戦で那須与一が扇の的を射抜いたエピソードを映像とからくり人形により再現してくれる。展示室には那須家伝来の宝物等、貴重な資料が展示されているそうな。

道の駅の隣に那須神社がある

バイクを用意し、那須神社に向かって出発!と思いきや、なんとすぐ横にあった。

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八幡宮(那須神社境内)は、松尾芭蕉が黒羽滞在時に故事来歴の地を訪れた場所のひとつだそう。本殿や楼門などの社殿があり、参道の両脇にはかなり長い杉並木が続いている。

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週末だったがほとんど人はおらず、ひっそりしていた。賑わいのある神社もいいが、静寂を味わえる場所もまた良いものだ。

那須神社とはどんな場所かを大田原市観光協会のサイトを元に箇条書きで紐解くと…

  • 国重要文化財であり、おくのほそ道風景地名勝にも指定されている
  • 仁徳天皇(313~399年)時代の創立
  • 延暦年中(782~806年)に征夷大将軍坂上田村麻呂が応神天皇を祀って八幡宮にした
  • 那須氏没落の後は黒羽(くろばね)城主大関氏の氏神としてあがめられた
  • 天正5年(1577年)は大関氏によって本殿・拝殿・楼門が再興された
  • 春と秋の例大祭に奉納される太々神楽、獅子舞、流鏑馬の行事なども有名(那須神社の獅子舞の起源はさだかではない)
  • 那須与一が源平屋島の戦いで扇の的を弓矢で射落とす際、「南無八幡大菩薩・・・」と、心に念じた神社
  • 本殿全体の彫刻や彩色、楼門全体を彩る装飾などは独創的で、「中世と近世の特徴を併せ持つ神社建築」として高い評価を受けている

10分ほど滞在して移動する。

30分弱で芭蕉の館へ

那須神社から7キロほど走ると、那珂川があって(「なかがわ」と読む)そこを渡り、ちょっと登ると芭蕉の館に到着。どうしてこんな小高い場所にあるだろう?と思ったら、そこはかつて黒羽城があった城跡だった。

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松尾芭蕉(1644年~1694年)とは…
江戸時代前期の俳諧師。三重県上野市(現在の伊賀市)出身。幼名は金作。通称は甚七郎、甚四郎。名は忠右衛門宗房。俳号としては初め実名宗房を、次いで桃青、芭蕉(はせを)と改めた。北村季吟門下。

俳諧(連句)の芸術的完成者であり蕉風と呼ばれる芸術性の極めて高い句風を確立し、後世では俳聖として世界的にも知られる、日本史上最高の俳諧師の一人である。芭蕉自身は発句(俳句)より俳諧(連句)を好んだ。

芭蕉が弟子の河合曾良を伴い、元禄2年3月27日(1689年5月16日)に江戸を立ち東北、北陸を巡り岐阜の大垣まで旅した紀行文『おくのほそ道』が特に有名。
引用元はウィキペディア

芭蕉と言えば、1689年に古歌の名所、由緒・来歴の地を訪ねて江戸から北へみちのく・北陸路を旅し、その後日本海沿いにぐるっと回って最終的に美濃大垣まで続いた。紀行文学の「奥の細道」はあまりにも有名。

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現地で会った観光ボランティアのおばあさんに教えてもらった話によると、大田原市は芭蕉が奥の細道を開始する直前に2週間滞在した場所とのこと。通常はそんなに長居することはなかったそうだが、あまりに素晴らしい場所だったので、ここでもいくつか句を詠んだそうな。よって、松尾芭蕉ゆかりの地ということらしい。

館の前には芭蕉とお弟子さんの曾良の銅像が。馬に乗っているが、基本は徒歩での旅だったんですって。ちなみに東京駅から大田原市までは166キロ。それを4日で歩いたそうで、1日40キロもか……昔の人は健脚だ。

芭蕉の館

※中は撮影禁止

館の隣には黒羽城跡があって、建物は一切残っていないが高台に登ることができる。見晴らしもよい。

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天守閣があったと思われる場所はテントを張ってキャンプとBBQをしている人の姿もあった。かつての戦いの場が、今はレクリエーションとして活用されているなんて、お侍さんたちは想像もしなかっただろう。

田舎道を走って雲巌寺へ

芭蕉の館から今度は雲巌寺へ。田舎道を12キロほど。きつくはないが、少し登るかんじになる。

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これまた大田原市観光協会公式サイトからかいつまんで引用させてもらうと…

  • 臨済宗妙心寺派のお寺
  • 筑前の聖福寺、越前の永平寺、紀州の興国寺と並んで、禅宗の日本四大道場と呼ばれる
  • 正面に釈迦堂、獅子王殿が一直線に並ぶ代表的な伽藍配置
  • 芭蕉は、この地で「木啄も 庵は破らず 夏木立」の句を残した
  • 春の新緑・秋の紅葉・冬の雪景色は見事

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朱塗りの反り橋に立って、下から山門を見上げた姿がすばらしい。山門をくぐると正面に仏殿(東山)があり、山門、仏殿、方丈が一直線上に配置されている。

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山門を背にして左手に平和観音堂があって、その裏手には戦没者の慰霊碑があった。

ちなみに雲巌寺周辺にお店などは何もない。道を挟んでバス停と駐車場があるのみ。このタイミングでオクサマが「腹減った…」と言い始めた。だが、ガマンして走り続けるしかない。坂を下ってウロウロし、運良く見つけたガゾリンスタンド併設型のよろず屋でオクサマはおにぎり、自分はコッペパンを食べた。これがその日のランチ。

雲巌寺


大田原城跡

次に向かうのは「大田原城跡(おおたわらじょうあと)」。大田原市指定の史跡である。これは事前のプランになかったが、グーグルマップを見てて気づいたので立ち寄ることに。予備知識はゼロである。

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大田原市の公式サイトによると・・・

  • 大田原城は、大田原資清(すけきよ)によって築城された
  • 明治4年(1871)の廃藩置県にいたるまでの大田原氏の居城
  • 複郭式の平山城(ひらやまじろ)
  • 徳川家康はこの地を重視し、関ヶ原の戦い前、上杉景勝(かげかつ)の挙兵の際にはその備えとして急ぎ城の修理を命じた
  • 3代将軍家光は、常時玄米千石を城中に貯蔵させ奥州への備えとした
  • 文政8年(1825)には火災によって焼失したが、同9年修造された
  • 戊辰戦争では、大田原藩は新政府軍につき、大田原城は会津攻めの拠点となった
  • 明治5年(1872)、城は兵部省に引き渡され取り壊された
  • 昭和12年(1937)に大田原町に寄贈され、のちに龍城公園として整備された
※わかったような書き方をしていますが、何ひとつ知りません。全部公式サイトの受け売りです(笑) 。

本丸のあったてっぺんまで自転車で登ってみたが、だだっ広い公園があるだけだった…。地元の少年とおぼしき子らが遊んでいた。

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大田原城跡のお問い合わせ

  • 文化振興課文化財係
  • 公式ページ
  • 電話:0287-98-3768

  • 佐久山温泉きみのゆにGO

    時刻は15時半。もうちょっと走っても良かったが、半分は旅行のようなものだし、シャカリキに走ることもなかろう、日が暮れるのも早いし…ということでサイクリングは切り上げる。

    ホテルに行く前にひとっ風呂浴びるかということで、これまたテキトーに検索して見つけたのが「佐久山温泉きみのゆ」。なんのデータもないまま、住所だけカーナビに入力して向かう。

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    そしたら、源泉掛け流し!湯加減が絶妙によくって長時間くつろげる温度だった。地元の方が多い印象。東北自動車道からも近いので便利。

    ルートイン西那須野

    きみのゆから西那須野駅そばのルートイン西那須野へ。夕飯はないので適当にふらふら歩いて見つけたステーキ屋さんへ。このとき重要なのは、食べログ等のレビューを見ないこと。味の良し悪しは自分の舌で確かめればいい。(っていうか、そもそも敏感な舌を持ってないし…)

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    「ハズレもまた旅情のひとつ!」と悩まず入店したら、ふつうに美味しかった。ちなみにお店はここ。よく考えたら、ステーキってだいたいどこで食べても美味しい(少なくとも自分は)。食後にコンビニでかりんとうと柿の種を買って戻る。オクサマはちゃっかりプリンも食べてた。部屋でダラダラして、飽きたら大浴場でくつろぐ…。この流れ、自分の中では最高の部類に入るリラックス法である。

    ホテル選びにはその人のこだわりが現れると思うが、ビジホに泊まるときに自分が重視するのが「大浴場がある」こと。部屋のユニットバスしか無いとテンションがだだ下がる。部屋はくたびれてても狭くても構わないが、大浴場だけはあってほしい!それが自分の願い。

    この流れで、デイリーポータルZのこの記事をぜひ味わってほしい。素晴らしい記事である。

    ビジネスホテルのこだわり大全

    翌朝は朝食後、渋滞回避のためすぐさま高速で埼玉へ

    もうひとつのこだわりが「朝食はバイキングである」こと。休日のビジホの朝食バイキングほどテンションが上がるものはない。2.5回は食べる。1回目は和食、2回目は洋食、ラストの0.5回は美味しかったもの(パンとか)をコーヒーと一緒にお代わりするのだ。

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    時間を気にせず、思う存分たらふく食べる朝食には幸せが詰まっている。きっとご同意いただけると信じている。

    トレーを片付けて外に出る瞬間に、ほかの宿泊客さんがヨーグルト食べていたことにオクサマが気づく。「(ひそひそ声で)ねぇねぇ…!ヨーグルトがあったっぽいよ!置いてあったっけ…?きっと見落としていたんだわ……もっかい戻りたいけど、出ちゃったからもうダメだよね…悔しい…」と言ってきた。どんだけ食いしん坊なんだ。

    朝食後はさっさとチェックアウトし、8時30分には宿を出る。そのまま家に帰るのはもったいない気もするが、直行で帰宅。そうすれば、その日の午後が自由に使えるのと、渋滞回避も目的である。連休の最終日はだいたい14時から混み出し、17時にピークとなり、混雑は20時以降も続く。早めに帰宅するのが賢明という判断だ。

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    以上、連休を利用した一泊二日の(ほぼ)ノープラン自転車旅の様子をお伝えしました。

    こんなかんじの旅なら、準備に時間がかからないのでわりかし楽ちん。思いったらサクッとでかけ、どうするかは現地でアドリブでなんとかする。こんな「行き当たりばったり旅行」も良いものです。


    ◇ 松本~安曇野(長野県)を行き当たりばったりで一泊二日ソロツーリングしてみたら癒やし効果が高すぎた件


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