中年……具体的には40歳を越えると、オッサンはとたんに守りの姿勢に入る。

現状維持をよしとし、変化を恐れて行動を控えてしまう。積極的にならねばとか、新しいことにトライしていかねばとは頭では考えるが、中途半端に成功体験を持っていて人の目が気になるのか、失敗を恐れて腰が重くなる。

しかし、なにか変化を起こしたかったら、強引にでも行動するしかない。決心が固まるのを待っていてはダメだ。No Pain, No Gain.

この現象は仕事だけではなくサイクリングでも同じで、つい「いつもと同じコースを走ってしまう」がそれ。新しいコースを探索する、はじめての駅に降り立つ、知らないお店に入ってみる……そんな刺激を求めてはいるが、なんとなく億劫さが勝ってしまうことはないだろうか?結果、走り慣れた道ばかりを走ってマンネリ化してしまう。

「弱い自分を変えたい…サイクリストとして一皮むけたい…」そんなことをウジウジ考えていたとき、とあるイベントにお招きいただいた。

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お招きいただいたのは、株式会社シマノが運営する南青山のカフェレストランでお馴染み、「OVE(オーブ)」さんで実施しているイベント。イベントの名は、「私の散走、実現します...東京・江戸、武家屋敷巡り」である。


武家屋敷巡り……?


日本史はからっきしな自分にはややハードルが高い気もするので、一瞬ひるんだ。なにしろ日本史が大の苦手。中高はずっと「中間&期末テストをクリアし、単位を取得するためだけ」にしぶしぶ勉強していたダメ学生だったので、歴史的教養が壊滅的に乏しい。大河ドラマを見ても意味が分からないし、登場人物も謎でしかない。

墾田永年私財法とか、大塩平八郎の乱とか、寛政の改革とか、フレーズとして認識はしているが、いつ、誰が、なぜ、なんのためにおこなって、結果どうなったのか……とかチンプンカンプン。

そんな歴史オンチの自分が格式高げなイベントに参加して大丈夫なのか、甚だ心もとないのだが、自分を変えるまたとない好機。参加しない手はない。

案内文には、

明治維新から150年の今年、そのさらに先の時代に思いをはせる散走を行います。維新前、東京の街には参勤交代のために「人質」として江戸に滞在していた日本全国の大名の屋敷がありました。その遺構がすべての場所に存在しているわけではありませんが、古地図を見ると、現存する道路の多くは当時から残っていた道であることがわかります。

今回はそういった武家屋敷を想像しながら、街を巡り、今の東京と過去の江戸との間を行き来します。

とある。

いったいどんなライドイベントなのだろう…。意を決して参加させていただいた。 今回はそのレポートであるっ…!

目次


シマノの運営するOVE(オーブ)はこんな場所

集合場所は南青山にあるシマノが運営するカフェレストランOVE。2006年から営業している場所だ。外苑駅からすぐ近く。青山一丁目駅からでも徒歩圏内だ。 南青山三丁目交差点(フランフランのあるとこ)からも近い。

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数年前にランチで利用させてもらったことがあって、 そのときは「近くまで来たはずなんだけどどこだろう…」ってちょっと迷ったのを記憶している。というのも、外からはカフェレストラン感がなく(美容室かオフィスっぽい)、気づかずに通り過ぎてしまったから。

目印は青山迎賓館だ。OVEはその目の前にある。

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ちなみに「OVE」とは、
・Opportunity(機会)
・Value(価値)
・Ease(気軽さ)

を表していて、「自転車のある暮らし」を提案する場所。

店中は奥行きがあって、ゆったりした居心地の良いスペース。カフェレストランだけではなく、コンサートや茶会等、様々なイベントも行われている。ギャラリーの役割も果たしており、まるで雑貨屋さんにいる気分。

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肝心の散走(さんそう)とはなんなのか

OVEが提唱するのは「散走(さんそう)」という、ポタリングとはちょっと違った自転車の愉しみ方。

「散走って、ようするにポタリングのことじゃないの?」

似ているようでちょっと違う。ポタリングは自転車でのんびりと走ることがメインだが、「散走」は道中をゆっくり走り、新たな出会いや発見を自転車を通じて愉しむ。このコンセプトは地方や地域の自治体でも取り入れられ、街づくり、観光促進、住民の健康促進にも一役買っているそうだ。

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※画像引用元:OVEオフィシャルサイト

散走に正装はなく、動きやすさえすればどんな格好でも大丈夫。堅苦しいルールはないし、その気楽さが散走の魅力。

OVE主催の散走で使われているバイクには、ラクに走れ、快適な乗り心地をサポートしてくれるさまざまな機能が搭載されている。あと、交通ルールを守って安全に走ることが基本。参加者はヘルメットとグローブ、ズボンの裾バンドがレンタルできる。

つまり、完全に手ぶらで参加できてしまうのだ。これは気楽だし、散走後にそのまま表参道や渋谷に立ち寄ることもできてしまう。

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※ぜんぶレンタルできる(お水もついてきます)

走った距離はたったの25キロ。しかし、恐るべき満足度

借りたのはTernのEclipse S11iというミニベロ(24インチだけど)。アルフィーネ内装11速、油圧のディスクブレーキ搭載。かなり太めのタイヤを履いていたが、街乗りだとちょうどいい感じに段差の衝撃を吸収してくれそうだ。

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コース全長は25キロ。これを長いと感じるか、短いと感じるかは人それぞれで、初心者には「十分でしょ」だし、経験者には「物足りない」だろう。自分は「たった25キロでよいのだろうか…。短すぎはしないだろうか」と思っていたが、終了後に自分の間違っていたことに気付く。

なぜか?

それは、”散走の満足度は走行距離とは無関係だから”である(後述する)。

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※出発前に飲んだOVE自家製梅ジュースが美味すぎて、思わずお代わりしてしまった。

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※出発前に軽くオリエンテーション

東京の歴史に俄然興味が湧きまくる

南青山のOVEを出発し、いきなり細い路地を複雑に蛇行しつつ、青山墓地を通過していく。てっきり大通りを走ると思い込んでいたので、たった5分で脳内の磁石が狂い始め、自分の位置がわからなくなってくる。知っている土地なのに、自分がどこにいるかわからないって不思議な感覚。太陽の位置でかろうじて東西南北はわかるが、曇りだったら軽く迷子になったかもしれない(笑)。

山脇学園が見えてきて、「あ、赤坂見附駅の近くだな」と分かる。赤坂〜赤坂見附エリアは2000年から仕事で関わってて、2006年から10年間働いた場所なので、よーく知ってる場所。

…のはずが、いきなり度肝を抜かれる。現れたのは、重要文化財武家屋敷門。

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それなりに赤坂界隈は知り尽くしたと思ってたけどなんだこれ……見たことも聞いたこともないぞ。

東京都文化財情報データベースによると、

江戸時代末期に、現在の千代田区丸の内(東京中央郵便局付近)に建てられたものです。当時この辺りは大名小路(こうじ)と呼ばれ、老中職の役屋敷がありました。文久2年(1862)年の大火で類焼した後、老中本多美濃守忠民(三河国岡崎藩5万石の藩主)によって、直ちに再建された屋敷門であると伝わります。

のち実業家・政治家である藤山愛一郎邸の表門として港区白金台に移築後、重要文化財に指定されます。山脇学園所有後は、昭和49年に千葉県九十九里町の臨海学校松籟荘(しょうらいそう)構内に移され、平成28年に再び港区赤坂の本校舎内へ移築されました。

ですって…。


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※ほとばしる武家感

太い木材を用いた建物は切妻造本瓦葺きで、簡素な中に豪壮さがあります。かつては左右に長屋(家臣の住居や厩舎)が続き、総延長は120mもあったといいます。現在でも桁行21.8m、梁間4.7mの規模を誇り、中央に両開き戸と潜戸、両側に出番所を備えます。出番所は片流れ屋根とし、やや装飾的で、建物に威厳と格式を与えています。

開始10分で衝撃の大発見。しかも元職場から歩いてほんの数分の距離にというオマケつき。そして衝撃はその後も続く。

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江戸城(皇居)って中に入れるんだ!しかも無料で!?

今回の散走での最大の発見かつ衝撃だったのが、江戸城ってふつーに誰でも入れるってこと。しかも無料。てっきり有料で、かつ期間限定でしか入城を許されないと思ってた…。これ、都内勤務してても知らない人多いんじゃないかしら。

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OVE散走スタッフさんが「では江戸城を見学しましょう。所要時間は1時間くらいかな」って言ったのを聞いて、「いやいやいや、江戸城ってお堀の外から見ておしまいなのでは?中にも入らずにどうやって1時間も過ごすのかしら」って訝しがりながらついて行ったら、てくてくと橋を渡っていったのでびっくりした。

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※平川橋(なお、入り口で荷物確認はあります)

平川門から入城

一行が入場したのは平川門からで、毎日新聞社が向かいにあるところ。参加者の中に歴史にむちゃくちゃ詳しい方がいらっしゃって、散策している間ずっと江戸城を解説してくれたのだが、その逸話やこぼれ話、蘊蓄が面白すぎた。

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そのいくつかを(完全に受け売りで)紹介すると、平川門は一般的には使われず、城内で罪を犯した罪人とか死人が通過するときに使われていたそうな。その理由は平川門が北東に位置する「鬼門」だから。別名を「不浄門」といい、 身分の高い人が平川門を使うことはなかった。あと、大奥に一番近い門でもあって、「御局(おつぼね)御門」とも呼ばれ、大奥女中の通用門としても使われたそうな。

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※たしかに艮(うしとら)=北東の方角だ…

平川門だけではなく、親柱には 擬宝珠(ぎぼし)という伝統的な建築物の装飾で橋や神社、寺院の階段、廻縁の高欄(手すり、欄干)の柱の上に設けられている飾りが付けられている。

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これは幕府管轄を証明しており、正式な橋にしか使われない。驚いたことに、 擬宝珠には寛永や慶長などの銘が彫られてあって、つまり当時のモノがいまもそのまま(!)使われているのだ。そんな何百年も前からの歴史的なものがふつーに手で触れるってのも面白い話である。
※柱の木材は当然現在のものに変わっている

まだまだある江戸城にまつわる豆知識

敵からの攻撃に対する江戸城の防御力は世界的に見ても屈指のレベルらしく、いたるところに敵の攻撃から城を守るだけでなく、攻め入った敵を殲滅させる工夫が施さている。ただボケっと見物しているだけではわからないが、そうやって歴史的背景を教えてもらうと、俄然興味がわいてくるものだ。

たとえば江戸城の門は、なぜか門をくぐったらいきなり九十度曲がらされることが多い。下のように、入ったら直進はできず、すぐ右にまた門が現れる。

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※江戸城のパンフレットより

なんで門のすぐ後にまた門なの?しかもわざわざ右に曲がる理由はなんなの?通過しにくくない?

それがミソでして、敵からの攻撃から城を守るアイデアとしてあえてやっている。

歩兵がわーっと攻め入ってきても、右に強制的に曲がらされることで軍勢がスピードダウンさせられ、渋滞でオタオタしているうちに上からかっこうの標的になるわけ。

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なお、左ではなく右に曲がらされる理由は、日本人の利き腕に関係する。アーチェリーやライフルなどの武器は左手で照準を定め、右手で引き金を引くのを前提に作られているのをイメージするとわかりやすいが、左に壁があると身を守りつつ反撃しやすいのが、右側だと半身をさらさないと弓を弾けない。よって、死ぬリスクが高くなる。

映画、『プライベート・ライアン』のオマハビーチ上陸シーンのワンシーンで説明すると、兵士たちは壁で身を守りつつ、身体を左方向にひねって銃撃しているのがわかる。江戸城はこれの逆を侵入者に強いてくるわけだ。



このような「侵攻しにくさ」がいたるとこにあって、清水門から入ると、一段一段の距離が間延びした、やたら登りにくい階段が待ち構えている。

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なんじゃこれ…登りにくいなあ……なんでこんな構造にしたんだろうって思ってたら、「敵を歩きにくくするためにこうしていた」んだとか。とにかく敵の嫌がることを徹底的にやってくるのが江戸城なのだ。

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このような歴史的背景を知れば知るほど、知識欲が湧いてくるから不思議。学生時代は「日本史?侍とかちょんまげ時代のこと知ってなんの得になるんじゃ、あほくさ」ってまったく勉強に熱が入らなかった自分が恥ずかしい(そして、歴史ってたいてい中年になってから興味が湧くものでもある)。

坂を登り切ったところには広々した芝生になってて、江戸の当時は大奥や本丸のあった場所。いまは自由に入ることができ、寝っ転がったり、お弁当を食べてもよし(片付けはちゃんとしましょう。見回したところ、ゴミ箱はなかったので持ち帰ること)。

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※めちゃんこ開放的!

ちなみに、芝生内は歩くのは構わないが走ると係員さんに注意される(過去にOVE散走スタッフさんが経験済み)。きっと芝生を守るためだと思われる。

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※天守台

江戸城は素晴らしすぎる観光名所だと改めて気づかされた。まだ城内に行ったことのない人はピクニックがてら出かけてみよう!

ランチは神楽坂で蕎麦を

江戸城の次は武道館へ。そして靖国神社を縫うように通過して飯田橋方面へ走る。

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この間も大通りではなく細い路地を走るので、見たことのない風景ばかり。あえて最短距離ではなく、道草を食うように走るのも散走の魅力のひとつのような気がしてきた。


神楽坂を登りかけたとこで、趣きのある細い路地(神楽小路:かぐらこうじ)へと入る。

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ランチはお蕎麦やさんの「志な乃」で。


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※天ざる蕎麦がとてもおいしかった。

箱根山にも登頂する

食後の腹ごなしに向かったのは、 牛込柳町駅ちかくの「正定山 幸國寺」という日蓮宗の寺院。幸せの国と書いて「こうこくじ」と読む。正式名称は幸國寺だが、幸国寺と書いてもよい。(検索ではそのほうがHITしやすいとのこと)

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  • 樹齢500年を超える大銀杏とともに安らかに眠る「幸国寺墓地」
  • 江戸十祖師布引のお祖師様の永代供養「布引永代供養塔」
  • 古代ガラスのお釈迦様のご尊像と光の納骨堂「琉璃殿」
がある場所だ。

幸國寺は山門が武家屋敷の門を移築したもので、”門の脇に番屋がある”ことからそれなりの位の武家屋敷から移築したものと想像できるそうな。(ただ、書物によっては田安家の門という記述も見られるが)

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その後、戸山公園内にある「箱根山(はこねやま)」へ向かう。駅でいうと早稲田駅と西早稲田駅の間にあって、ここも知る人ぞ知る存在なのではなかろうか。

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山手線内にて一番標高が高い人造の山(築山)で、山頂にある水準点の標高はたったの44.6m。これでも立派な山。

ウィキペディアによると、

江戸時代の尾張藩徳川家の下屋敷時代に回遊式庭園「戸山荘」として整備された際に、池を掘った残土を積み上げ固めて造成された築山「玉円峰(ぎょくえんぽう)」と伝えられている。この地が陸軍戸山学校用地となった頃から「箱根山」と俗称されるようになった。

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あっという間に登頂できて、希望すれば 大久保地区にある戸山公園サービスセンターで「登頂証明書」を発行してもらえる。

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※山頂はこんなかんじです(笑)

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その後は新宿二丁目のややディープな雰囲気を感じつつ、御苑、神宮を抜けて青山に帰還。

OVEでブルーベリーシロップ入りのお茶でひと休み。「えっ、お茶にブルーベリー?組み合わせとしてありえなくない!?」と思ったが、飲んだらむっちゃ美味しいの……(なんで)。なんなのだこの爽やかな味は…(お代わりした)。

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散走を体験してみて感じたこと

今回の散走に参加して痛感させられたのは、「自分はあまりにも東京を知らなさすぎた…」という事実。赤坂~赤坂見附エリアでは2006年から2016年までの10年間働き、その界隈はかなり知ってた気分になってたけど、とんでもない誤解だった。

出発前は、「東京?もう15年も働いているんだぜ?しかも自転車でさんざん走り尽くしているから、最短ルートを脳内で描いてナビなしでどこでも行けるぜ」というおごりがあった。

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自分が長けているのは、A地点からB地点に移動するための最短距離ルートを脳内に描き、それに則って効率重視で移動すること。たしかに移動スキルは磨かれたが、街の裏側とか細い路地はからきしだった。

そのいい例が紀尾井町(きおいちょう)の由来について。江戸時代の初期に大名屋敷が置かれていて、紀伊(きい)和歌山藩徳川家上屋敷、尾張(おわり)名古屋藩徳川家中屋敷、近江彦根藩井伊(いい)家中屋敷があった。 紀伊徳川・尾張徳川、彦根井伊の三家から一文字づつとって「紀尾井町(きおいちょう)」と名付けられたわけ。そんなことも知らずに47年も生きてしまっていた…。
※千代田区公式サイト「町名由来板:紀尾井町(きおいちょう)

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※紀尾井町周辺

「走行距離たったの25キロで、都内に新たな発見なんてあるのだろうか?」という自分の考えはとんでもない思い上がりであり、猛省したのであった。

冒頭で「散走の満足度は走行距離に比例しない」と述べたが、ではなにが満足度に直結するかというと、「過ごした時間の濃密度」なのだと思う。見たことのない風景に出会い、初めての道を通り、知らなかった知識を得る。土地の歴史やその生い立ち、そこで暮らす人々の生活…そういったものに触れることが満足度にリンクする。

ぴゅーーーっと走って通過するだけでは、距離は稼げてもそれ以外の要素は入ってこない。ロードバイクだとつい「何キロ走った(ドヤァ)」ってなりがちだけど、距離の長さでもない、巡航スピードでもない、まったく違った自転車の楽しみ方がある。

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ただ、大通りを走っているだけでは気づけなかった。そのあたりの妙味は、OVEスタッフさんたちの手腕と入念なコース設定&準備の賜物だろう。あと、他の参加者の圧倒的な歴史の知識のおかげでもあった。(ソロだったら絶対無理なルートだった)

見知った街を散走することから始めてみよう

OVEが提唱する散走。認知度のある「ポタリング」ではなく、あえて「散走」と呼ぶ理由は、ポタリングだと「自転車に乗ること=目的」となってしまうが、「散走」は自転車走行が主目的ではなく、街中にあるさまざまな楽しみ(食・観光・撮影・散歩)を満喫するためのツールとして自転車を有効活用するって発想になる。主は「休日を有意義に満喫する」という体験・経験であって、サイクリング行為そのものはあくまで「副」ってわけ。

OVEマネージャーの室谷さんの言葉を借りると、「散走するためにわざわざ新しい街や観光地に繰り出す必要はなくて、地元や隣町くらいの身近な場所で気軽に行うのでも十分に楽しめますよ」とのこと。

散走を楽しむコツは、

どこかへ行く、という目的だけではなく ちょっと目線を変えて、その道のりを愉しむ

  • 何キロ走ったかなんて、いったん忘れる
  • 狭い面を塗りつぶすように蛇行しまくる
  • 気になるモノがあれば躊躇なく停止して見物
  • 楽しむのは結果(目的地)ではなく、プロセス(行程)

だと思う。

ノープランで出かけるもよし、事前になにがしかの歴史を仕入れておくもよし。あるいは「今日はノスタルジーを味わおう」とか「なんとなくアートの気分だな」ってテーマを決めてもいい。

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ちなみに、上のクロモリロードはOVE散走スタッフのお一人のバイク。こんなかんじでロードでの散走だってアリ。”クロモリ × ディスクブレーキ × ブルホーン”の組み合わせって、街乗りに最高に似合う気がする。

もうひとつ、個人的なオススメは現在(&かつての)の職場周辺に行ってみること。休日の職場って、平日とは違った顔が見えて面白い。仕事じゃないモードで最寄り駅とか隣駅、徒歩では行かない(行けない)エリアを探検すると、「えー!仕事場のこんな近くにこんな場所があったの!」ってきっとなるから。

自分にとってのそれは、学校法人山脇学園が所有する「重要文化財武家屋敷門」だった。山脇学園敷地内にこんな立派な重要文化財があったなんて、1ミリも知らなかったもんね…。赤坂で10年働いてこの有様。東京での仕事歴は15年になるけど、自分はあまりにも東京という街を知らなさすぎた。

余談だが、「歴史に興味が湧く」という予想外の副産物もあって、学生時代は日本史&世界史を毛嫌いしていたくせに、猛烈に勉強したい欲がむくむくと湧いてきた。さっそく「まんがでわかる日本の歴史」を手あたり次第にKindleに突っ込んで、読みまくっているところ。
※「いい歳こいたオッサンがそこから?」と笑わないでください…。


まんがでわかる日本の歴史 江戸幕府の栄枯盛衰編

※参照元:アマゾン

己の無知を知ったことは戒めになったと同時に喜びでもあって、「まだまだ探検できるとこ山ほどあるじゃん!知的好奇心を刺激しまくれるじゃん!」という発見でもあった。もっとあちこち散走して、新しい発見で既知の地図情報を上書きしていこうと思う。

OVE店舗情報

  • 東京都港区南青山3-4-8
  • KDXレジデンス南青山1F
  • 電話:03-5785-0403
  • 営業時間:10時~19時
  • 定休日:月曜(祝日の場合は火曜日振休)
  • 散走公式サイト

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