人間、いくつになっても変われるものだなーと思ったことが今年あって、「人生で初めて歴史に興味を持つ」ようになった。これ、自分で自分が信じられないくらいの劇的変化で、張本人がイチバン衝撃受けてる。

学生時代は歴史が大嫌いで勉強から逃げまくってた自分が、まさか神社仏閣や城跡巡りするなんて…。ほんの二ヶ月前までは考えたこともなかったことだ。

キッカケは、OVEさんに招待いただいた「都内の武家屋敷や江戸城を見て回る」って散走イベントに参加したこと。これが抜群に面白くって、「知らなかった昔の時代のことをもっと学びたい!」と思うようになった。

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OVEの散走イベントで都内の武家屋敷をめぐった結果、日本史嫌いな自分が歴史に目覚めてしまった【PR】


物事ってなんでもそうだけど、「理解し始めると俄然面白くなる」ものじゃないですか。

自分もまさにこれでして、一つの史実を知ると、その理由が気になる。理由に気づくと、背景が知りたくなる。背景を知ると、その人間関係や愛憎入り混じる血筋に興味が湧く。血筋が明らかになると、天皇と都の力関係とか大名の勢力図を理解したくなる。力関係や勢力図を理解したことでそれぞれの思惑、戦や乱への流れが見えてくる。

…という具合に、知っても知っても底なし沼のように歴史に興味が湧いてしまって、この流れに歯止めがかけられない。


待てよ……この史実がなければ、現在の●●●●は起きてなかったということで、それはつまり現在の日本ではなかったはず…な、なんということだっーーーーーーーーー!


って具合に、ちょっと勉強してはいちいち驚いている。
※気づくのが遅すぎるのは百も承知している…(恥)


歴史に「もしも」と「たられば」はないけど、つい考えてしまうんですよね……信長が本能寺で討たれていなかったら、豊臣側が家康に滅ぼされなかったら、関ヶ原で石田三成側が勝っていれば、幕府が黒船を打ち負かして鎖国が解かれなかったら、徳川慶喜が大政奉還せずに幕府と倒幕の戦いが長期化していたら……どうなってたんだろう?って。

キリスト教が布教された当時に弾圧されず、すんなり受け入れられていたら隠れキリシタンって人々が存在することもなかったし、天草四郎の乱もなく、長崎の世界遺産はなかったかもしれないとか、いろいろ考えてしまう。

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/江戸城のミニチュア\


現代の当たり前は当たり前でもなんでもなく、目に見えない幾千、幾万もの細かな歴史の積み上げ、時代のうねり、数奇な巡り合わせの上に構築されているのかと想像するだけで、めまいがしてくるようだ。

ということで、今猛烈な勢いで読んでいるのが「まんがでわかる日本の歴史シリーズ」と「読むだけですっきりわかる日本史」あたり。「太平記(マンガ版)」も面白い。 

マンガって、何かを短期集中で一気に学ぶのにすごくいいツールですね。とっつきやすいので読むのが苦にならない。大まかな流れを掴んだら、書籍で各時代を掘り下げていこうと思っている。


……と、歴史に目覚めた経緯を長々と述べたが、その理由は他でもない。「歴史とロードバイクは両立できる(というかむっちゃ相性が良い!)」ことに気づいてしまったのだ。

そう、神社仏閣、城跡、景勝地巡りを自転車のツーリングに組み込んでしまえばいい。盆と正月が同時に来てしまったかのような愉しさとはまさにこのこと。

ということで、江ノ島から小田原城まで往復して来たのでレポートします。

目次


なぜに小田原城?

とくにどこから開始してもよかったのだが、江戸城はこないだ行ったし、春先には川越城も行ったし、今度は神奈川県かな?と思っただけ。

お城情報で便利な情報源が「攻城団」。お城好きな人がたくさん集まるサイトで、実際にそこを訪れた人たちの声&生きた情報が盛りだくさん。ということで、神奈川県にあって、ほどよい距離にあって、なおかつ観光もしやすそうなのが小田原城だったわけ。
※「攻城団」は前職の元上司が運営してたりする(^^)

攻城団 ツイッター


ちなみに小田原城の公式サイトウィキペディアをもとにかいつまんでまとめると…

  • 大森氏が小田原地方に進出した15世紀中ごろに建築されたと言われている
  • 戦国時代から江戸時代にかけての城
  • 北条氏の本拠地として有名
  • 江戸時代には小田原藩の藩庁があった
  • 主要部のすべてに石垣を用いた総石垣造りの城
  • 建築者は不明
  • 3代当主北条氏康の時代には「難攻不落、無敵の城」といわれた
  • 上杉謙信や武田信玄の攻撃に耐えた
  • 最大の特徴は、豊臣軍に対抗するために作られた広大な外郭
  • 小田原の町全体を総延長9キロメートルの土塁と空堀で取り囲んでいる
  • 江戸時代の寛永10年(1633年)と元禄16年(1703年)の2度も大地震に遭った
  • 天守が再建されたのは宝永3年(1706年)
  • 石垣は大正12年(1923)の関東大震災で崩壊
  • 明治3年に解体され、廃城となった

上野東京ラインで大船駅まで行く

埼玉県からのアクセスは上野東京ラインが便利。赤羽駅から乗り換えなしで一気に大船駅まで移動する。
※行こうと思えば熱海にも行ける

上野東京ラインの停車駅(77駅)の一覧はこちら

赤羽駅から大船駅まではジャスト1時間。読書していればあっという間の時間である。ちなみに、今回は大船駅から向かったが、アクセスの良さを考えると藤沢駅もアリである。

江ノ島にある「龍口寺」に立ち寄る

大船駅から江ノ島まで移動する途中で、偶然見かけたのが「龍口寺(りゅうこうじ)」。龍の口だって…?と思ってバイクを降りて立ち寄ってみたら、かなり由緒あるところのようだった。

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ここは刑場跡で、文永8年(1271年)9月12日に日蓮宗の開祖日蓮が処刑されそうになった場所(いろいろあって処刑は免れるが、その後島流しに)。日蓮といえば、鎌倉時代の仏教の僧で日蓮宗の宗祖ですね。

日蓮聖人が処刑までの間、一時的に入れられていた土牢もあったりする。現在は日蓮聖人の銅像が安置されているそうな。

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その後延元2年/建武4年(1337年)に日蓮の弟子、日法がこの地を「龍ノ口法難霊蹟」として敷皮堂という堂を建立し、自作の祖師像(日蓮像)と首敷皮を置いたのが龍口寺の始まりなんですって。

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日蓮宗はどんな人でも全て平等に「仏の心」(仏性)が備わっていると説いている。動物も植物も大地も、全ての生きとし生けるものに「仏の心」はあるとされ、仏に感謝して唱えるのお題目が、ご存知「南無妙法蓮華経」だ。
※「大地って生きてるの…?」という気もするが、とにかくそういうことらしい

龍口寺(りゅうこうじ)ウィキペディアはこちら

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/日蓮さん\

自分以外に誰も人はいなかったが、入り口には2体の仁王尊像もあって、なかなか雰囲気のあるお寺だった。

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鎌倉→小田原への道は信号が少ない&平坦基調で走りやすい

龍口寺から江ノ島へはすぐ。海岸ではヨットやサーフィン、ビーチバレーに興じる人がたくさんいて楽しそう。

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江ノ島から小田原までは、海岸沿いの134号線をひたすらまっすぐ走るのみ。ほとんど曲がらないので、道に迷うことはないだろう。

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海沿いということもあってアップダウンはほぼない。路面状態はキレイで気持ち良く走れて巡行スピードも高く保てる。その代わり、車やトラックの平均速度も速めなので、そこんとこはご注意を。ミニベロでのんびり走るよりは、ロードでシャカシャカ回すほうがマッチしている道だとは思う。

海風はやや注意が必要。当日は海側(つまり真横)から「ドン!」と強く押されるような圧を感じてなかなか厄介だった。遮蔽物のない橋の上はとくに気をつけよう。

ただ、湘南、茅ヶ崎エリアは防風林があるおかげで、かなりの区間を横風の影響を受けずに走ることができて助かった。

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江ノ島周辺はオシャンティなお店がたくさん

鎌倉~逗子のように、江ノ島周辺もお洒落なお店がたくさん。

MOSカフェって場所は初めて見た。こんな業態の店舗もモスフードは展開しているのか。いこうか迷ったけど、時間がなかったのでパスした。

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なんとなくの感覚だけど、上半身裸&水着の人が大勢そこらじゅうで歩いているので、サイクルジャージでお店に入るのも違和感がないような気がする。

小田原駅すぐそばにある小田原城

小田原市に到着。箱根までは目と鼻の先だ。街からは富士山も見える。無料休憩所が設置されていたり、お茶や観光情報を提供してくれる無料休憩所があったり、 歴史を街全体で大切にしている空気を感じた。

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/無料休憩所の中の様子\

街がコンパクトにまとまっておて、小田原駅を中心に徒歩圏内で観光施設を回れそうなのも好印象。外国人の方の姿もチラホラ。

あと、マンションやオフィスビル等の高層物がまったく建っていない。お城の景観を守るための条例が敷かれているのだと想像する。そのおかげで空が広々としており、居心地がとてもよい街だった。小田原城からの景観も非常によろしい。

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ということで、中にはいる。

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有料(200円)だが、甲冑や刀が展示されている場所もあって、じつに興味深かった。 

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こんな重そうなモノを着込んで戦っていたのか…。軽量化の工夫はされていると説明にはあったけど、現代人が甲冑を着て走り回る&刀を振り回すなんて……絶対ムリな気がする。

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/タモリさん…?\


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/いい絵だ…\


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/小田原市を一望\


駅前で地魚の丼を食べてから、「北条氏政・氏照の墓所」にも寄ってみた。駅からすぐの細い小路にあって、気をつけていないと見落としそうなほどひっそりと佇んでいた。

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/小田原駅前の様子\

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北条氏政・氏照の墓所に行くには、中央の細い路地を入ります\


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/ちょっと高い場所にあります\

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北条氏政は北条氏第4代の領主。氏照は氏政の弟にあたる。天正18年(1590)に豊臣秀吉が北条氏を攻略したとき、城主だった氏直は高野山に追放された。で、父の氏政と弟の氏照は責任を負って切腹した。氏政は享年52歳。氏照は享年48歳。


画像向かって右にある「五輪塔」(大きいほう)は、北条氏政夫人の墓と伝えられているが、確証はないとのこと。

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もと来た道を走って大船駅へ

そのままピストン走行するかのように同じ道を走って大船駅まで戻り、同じく上野東京ラインで赤羽駅まで帰った。

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秦野を目指し、ヤビツ峠を越えて府中に行き、武蔵野線で帰る方法も一瞬考えたが、33度の猛暑日だったので、おとなしく平坦路を選んでおいた(笑)。往復ジャスト100キロで、やや走り足りない気もしたが、気温を考えると賢明な判断だったと思う。

それにしても、死ぬほど暑い日で、何リットルの水を飲んだであろうか…とにかく飲みまくった1日であった。


ということで、ロードバイクでのツーリングとお城巡りは相性バツグンです。


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