JR山手線の田町ー品川駅間に新設される駅の名称が、『高輪ゲートウェイ』になった。これで山手線の駅数は29からひとつ増えて30駅になる。『西日暮里』駅が1971年(自分の生まれた年!)に開業して以来の新駅オープンなわけで、めでたいっちゃめでたい。
まあ、昭和のオッサンが付けたような駅名に関してはなかなかに香ばしいものがあり、案の定反対が多数を占めてはいるようだが。
なにしろ駅名の公募では、
1位「高輪」
2位「芝浦」
3位「芝浜」
4位が「新品川」&「泉岳寺」
という順番で、正式駅名に採用された「高輪ゲートウェイ」はなんと130位。これでは出来レースだったと言われても仕方ないかもしれない。
◇ 高輪ゲートウェイ「撤回」署名、賛同4万人超に JRに再検討するか聞くと...(ニフティニュース)
◇ 「高輪ゲートウェイ」という駅名を撤回してください
※発起人は能町 みね子さん
ただ、物は考えようで、なんでも楽しんでしまうという姿勢も持っておきたい。否定するのは簡単ですしね。
◇ 今年の忘年会では『宴も高輪ゲートウェイでございますが…』って言うおっさんが絶対出てくると思う「多分俺が言う」「もうTwitterで見た」(トゥギャッター)
ちなみに、品川~田町間はべつにオシャレな商業スポットとか観光地があるわけでもないし、自分はぜんぜん注目していなかった。職場(五反田)のわりと近くではあるが、食事に行くような場所でもなく、「品川=ただの乗換駅」で田町は通過点でしかない。
高輪ゲートウェイ駅は、(都営地下鉄と京急の)泉岳寺駅から300メートルほど南東の場所に位置することになり、品川駅よりも近い。泉岳寺駅から羽田空港までは京浜急行で約25分なので、訪日外国人の方々の利便性はアップすること間違いなし。
ということは、泉岳寺駅周辺を散策してみれば、サイクリングにおすすめスポットが見つかるかもしれないと考え、ひとっ走り調査をしてきた。
※12月中旬でめちゃくちゃ寒かったです…
京急本線・都営地下鉄浅草線 泉岳寺駅より徒歩2分。第一京浜からちょっと坂を登ったところに泉岳寺はある。建物に囲まれているので、近くまで行かないとわからない。
門をくぐると土産物店が数店あり、さらに進むと大石内蔵助吉雄銅像の像がある。
泉岳寺は曹洞宗の寺院で、青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺のひとつ。忠臣蔵の赤穂浪士の47人の墓があることで有名。慶長17年(1612年)に徳川家康が創建したので、400年以上の歴史がある。が、寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失してしまう。その後、徳川家光が毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に高輪の地で再建させたそうな。
忠臣蔵(赤穂事件)とは
赤穂事件よりも「忠臣蔵」のほうが認知度が高いが、正確には忠臣蔵は赤穂事件を基にした人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通称なので、史実を語るときは”赤穂事件”のほうが使われる。
「なんで品川周辺に赤穂浪士四十七士のお墓が?」と思ってお寺近くの売店の方に聞いてみたら、赤穂藩主浅野家の菩提寺なんですって。
※菩提寺とは:先祖代々のお墓があって、法要を営むお寺のこと。たとえば、徳川家の寛永寺や増上寺がそれに当たる
ぽつーんと寂れた場所なのかな…人はいないだろうな…と思って行ってみたら、たくさんの参拝客が訪れていた。
外国人の方々もチラホラ。一人ひとりの墓に線香を供えている方もいらっしゃって、今も人々の記憶に強く刻まれているのだなと思った次第。境内には赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」(入場有料)もある。
毎年4月初旬と12月14日(赤穂事件発生日)には義士祭が催される。
ここは個人的にかなりオススメしたい場所だ。泉岳寺の歴史をより詳しく知りたい方は、泉岳寺公式サイトをどうぞ。
御祭神:宇迦御魂神・誉田別命・猿田彦神
泉岳寺駅から南へ、品川方面に向かっていくと第一京浜沿いにある。マンションとビルの間が入り口で、やや細いので見落としそうになる。
創建年代は不詳だが、明応年間(1492-1501)の創建と伝えられていて、高輪の総鎮守社だそう。紆余曲折あってから昭和4年に社号を稲荷神社から高輪神社へ改称した。昭和55年に太子堂、稲荷社、庚申堂そして高輪地内の八幡社を合祀し現在の高輪神社となった。
参道に入ると大きな石鳥居が建っていて、「了寛文七年未三月二十二日(1667)奉建立華表太子講 江戸石方惣中」と書かれている。四代目の徳川家綱の時代だ。
階段を登ったところにお社がある。周囲の建物に守られるように建っていてちょっとびっくり。こんな場所が高輪にあったとは。
なんと、御祭神のひとつに聖徳太子もあったりして、一体何がどうなったら聖徳太子と高輪神社がつながるのか皆目見当もつかない。歴史とはまことに摩訶不思議なものである。
ご利益としては、商売繁盛・千客万来、家内安全・交通安全、合格祈願・学業成就、健康祈願・病気平癒、安産祈願・子宝・子授け、厄除け・厄払い、開運招福・諸願成就…だそうな。
品川駅にけっこう近い。第一京浜を田町方向に行き、少々登った場所にある。臨済宗妙心寺派の別格本山で詳名は「海上禅林佛日山東禅興聖禅寺」(なんて読むんだ…?)。江戸四箇寺のひとつでもある。2010年2月、境内が国の史跡に指定された。
海がそばにあるわけでもないのに、なぜに海上?と思って調べたら、当時は第一京浜の向こう側は江戸湾が広がっていたから。そうか、今の東京はかなりを埋立地が占めるんだった。
ユニークなのは、幕末に日本初のイギリス公使館として東禅寺が使われていたこと。安政5年(1858)7月に帰結された日英通商条約がキッカケで、イギリス初代公使オールコックらがここに駐在し、日本最初のイギリス公使宿館となった。明治6年(1873)ごろまで15年ほど使用された。
ちなみに東禅寺は多くの大名の菩提寺でもあって、(一般公開はされていないが)今も諸大名の墓群がある。
とても静かでひっそりした場所だった。静かにお参りする観光客らしき方々が数名いる以外、ほぼ無音の世界だった。
ちなみに、東禅寺のすぐ近くに「洞坂」という距離はごく短いが、えげつない急坂がある。
法螺坂、鯔坂とも書くそうで、この地域の字(あざ)を洞村(ほこらむら)と呼ぶことに由来するらしい。自転車でお立ち寄りの際はぜひここもトライいただきたい。
あと、高輪公園もあってどんなステキな憩いの場なのかな?と期待して行ってみたが、少しの遊具とだだっ広い砂のグランドがあるだけだった。
祭神 天照皇大神、宇迦之御魂命、誉田別尊、白山吡咩命、天児屋根命、秋葉大神
Google Mapsで「神社」と検索したら表示されたので行ってみたが、びっくりするほどこじんまりした神社だった。東海大学の門のほぼ正面にある。
しかし、主祭神は「天照皇大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)」である。
ん?天照皇大神って・・・日本神話に登場する女神で、皇室の祖神で、日本国民の総氏神じゃん!すごい場所じゃん!総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮だけど、全国各地にあるんだな~。そう思ってウィキペディアを見てみたら、
「天照大神を祀る神社」に丸山神社は書かれていなかった(あれ?)。
でも、丸山神社のウィキペディアページにはちゃんと「天照皇大神」が祀られていると書かれてある。
なので書き漏らしなのかもしれない。
オススメの観光スポットかどうかを率直に言うと……わざわざここ目当てに来るほどではない。
赤穂浪士の中で、大石内蔵助良雄を含む17名が切腹をした場所
元禄14年(1701)の江戸城松之廊下の刃傷事件に端を発した赤穂事件は、翌年の15年12月14日の吉良邸討ち入りという事件につながる。吉良上野介を討ち取った大石内蔵助一行46名は、主君の浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えた後、幕府の命により細川家を含む4家に分けて預けられた。
※一名は途中で姿を消したので、47名ではなく46名である
大石内蔵助を含む17名は、元禄16年(1703)2月4日、幕府の命によりその日に全員が預けられた先で切腹をした。それがここ。
※10代の若者も…
細川家の高輪下屋敷の敷地は今は高松中学校となっているが、屋敷跡の一部は塀に囲んで保存されている。門は閉じられており、中には入れない。
ここもGoogleマップに導かれて訪れたのだが、かなり分かりにくい場所だ。何しろ、都営アパートの建物の敷地内にあって、住人しか足を踏み入れないようなところだから。
天気が曇りということもあり、物悲しい、寂しげな空気を感じた。切腹した場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭だそう。背後に池を背負った地で腹を切ったらしいが、池の跡はどこだか分からなかった。
自分しかおらず、「そっか、ここまでは人は来ないのか…なんかもったいないな…」と思ってたら、ご老人会のような集団のお爺さんとお婆さんの一行がぞろぞろいらっしゃって歴史を偲んでらして、あぁ…なんかいいなあ…と思ってしまった。
※仲間との史跡巡りっていいですね
ただ、最近はこういう傾向もあるそうな…。
◇ 気付けば「忠臣蔵」の人気や知名度が無くなってた(らしい)理由の考察など(トゥギャッター)
場所そのものはただの門の跡だけで、観光スポットとはお世辞にも呼べないが、泉岳寺から近いし、歴史好きなら足を伸ばして損はない。
東京都港区高輪2-8-2
日蓮宗の僧だった日円(にちえん)により正安元年(1299年)に開山されたお寺。もともと港区虎ノ門あたりにあったが、江戸時代初めの承応2年(1653年)3月に現在の地に移転した。
江戸時代中期の延享2年(1745年)の大火に巻き込まれ本堂は焼け落ちたが、道路に面した山門、そのまっすぐ奥にある仁王門、境内にある鐘楼は焼失を逃れて現存している。
中は広いが山門部分はけっこう狭く、車だと見落としてしまうかも。
山門を入ってまず驚いたのが、ものすごく異様な形状と顔つきをした狛犬っぽい石像が。
いや、犬なのかこれ…と思って調べたら、「狛犬」ではなく「狛件(こまくだん)」というらしい。
狛件はもちろん架空の動物…というか妖怪の一種で、牛から生まれ、人間の言葉を話し、発する予言は必ず当たると言われている半人半牛の怪物。漢字の人と牛を足すと「件」になる。(おぉ…)
この妖怪、生まれてたった数日で死ぬ。その間に作物の豊凶や流行病、旱魃(かんばつ)、戦争の様々な予言をし、それは間違いなく起こるという。妖怪ではあるが、人を傷つけるとか、食うとかってタイプではない。預言者なのである意味有難い存在かもしれない。
その狛件がなぜ承教寺の山門を護っているのか?は分からずじまいなんだけど、かなりインパクトあるので高輪に来た際はお立ち寄りください。
蛇足だが、承教寺すぐそばにはメロンパン屋さんがあった。食べてはいないので味は分からないが、美味しそうである。
さらに蛇足として、「印刷屋さん」という名の印刷屋さんがあった。営業してるのかどうかは分からない。それにしても紛らわしい店名だ。
「名刺を作りたいけど、この辺に印刷屋さんあるかな?」
「だったら近くに印刷屋さんがあるよ」
「ほんと?何てお店?」
「印刷屋さん」
「うん、だから店名を知りたいんだけど」
「だから印刷屋さん」
「いや、そうじゃなくて…」 (以下略)
というやり取りを無駄に生んでしまっている可能性大。
品川駅に寄って行けばルノアールはあったが、サイクルウェアで入る店ではない。あとはコンビニくらいか。
品川駅をさらに越えたところには、ハンバーグで有名な「つばめグリル」がある。
ここまでくると高輪ゲートウェイ駅は関係なくなってしまうが、自転車なら一瞬の距離なので、食事場所を探すなら品川駅か田町駅まで行くのがベターだろう。
高輪ゲートウェイ駅は2020年の春に開業予定。オリンピック前にこけら落としをするスケジュール感だ。まだ一年半あるので、徐々に町並みも変わっていくだろう。今後の発展に期待したい。
品川シーズンテラスという超高層ビル(オフィス・商業複合施設)があり、ショップやレストランがあったが、サイクリングついでに行く場所という感じでもなさげ。2015年に開業していたそうだが、この場所の存在を今回走って初めて知った…。(たぶん今後も来る用事はない)
山手線や東海道新幹線、横須賀線が走る線路の下にあるトンネルなのだが、通過しようとして思わず立ち止まった。
なんと、低すぎて自転車に乗って走れない。身長173センチの自分ですら前屈みにならないと歩けない。
車はセダンがギリギリ通過できる程度で、SUVとかミニバンは絶対無理。歩道があるので、歩いて自転車を押しながら通過したんだけど、何気に長かった(笑)。
電車が通過するたびに轟音で耳が痛くなる。まあ…自転車でわざわざ通る道ではないので、避けたほうが無難。なお、歩行者と自転車は両方向から通過できるが、車は一方通行である。
※泉岳寺駅方面からしか入れない
以上、高輪ゲートウェイ駅(仮称)周辺のサイクリングで立ち寄りたいおすすめスポットの調査結果である。正直、このエリア単体だけだとあえて来る理由はないので、田町→芝公園と北上し、東京タワーや増上寺、御成門、浜離宮あたりを組み合わせることをオススメする。
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まあ、昭和のオッサンが付けたような駅名に関してはなかなかに香ばしいものがあり、案の定反対が多数を占めてはいるようだが。
なにしろ駅名の公募では、
1位「高輪」
2位「芝浦」
3位「芝浜」
4位が「新品川」&「泉岳寺」
という順番で、正式駅名に採用された「高輪ゲートウェイ」はなんと130位。これでは出来レースだったと言われても仕方ないかもしれない。
◇ 高輪ゲートウェイ「撤回」署名、賛同4万人超に JRに再検討するか聞くと...(ニフティニュース)
◇ 「高輪ゲートウェイ」という駅名を撤回してください
※発起人は能町 みね子さん
ただ、物は考えようで、なんでも楽しんでしまうという姿勢も持っておきたい。否定するのは簡単ですしね。
◇ 今年の忘年会では『宴も高輪ゲートウェイでございますが…』って言うおっさんが絶対出てくると思う「多分俺が言う」「もうTwitterで見た」(トゥギャッター)
ちなみに、品川~田町間はべつにオシャレな商業スポットとか観光地があるわけでもないし、自分はぜんぜん注目していなかった。職場(五反田)のわりと近くではあるが、食事に行くような場所でもなく、「品川=ただの乗換駅」で田町は通過点でしかない。
高輪ゲートウェイ駅は、(都営地下鉄と京急の)泉岳寺駅から300メートルほど南東の場所に位置することになり、品川駅よりも近い。泉岳寺駅から羽田空港までは京浜急行で約25分なので、訪日外国人の方々の利便性はアップすること間違いなし。
ということは、泉岳寺駅周辺を散策してみれば、サイクリングにおすすめスポットが見つかるかもしれないと考え、ひとっ走り調査をしてきた。
※12月中旬でめちゃくちゃ寒かったです…
目次
- 泉岳寺(曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺)
- 高輪神社
- 東禅寺
- 丸山神社
- 大石良雄外十六人忠烈の跡
- 承教寺
- カフェとか飲食店はほぼない
- 高輪ゲートウェイ駅の東側はとくにこれといったスポットなさげ
- 泉岳寺駅と芝浦水再生センターをつなぐトンネルが低すぎて笑う
泉岳寺(曹洞宗 江戸三ヶ寺 萬松山 泉岳寺)
東京都港区高輪2-11-1京急本線・都営地下鉄浅草線 泉岳寺駅より徒歩2分。第一京浜からちょっと坂を登ったところに泉岳寺はある。建物に囲まれているので、近くまで行かないとわからない。
門をくぐると土産物店が数店あり、さらに進むと大石内蔵助吉雄銅像の像がある。
泉岳寺は曹洞宗の寺院で、青松寺・総泉寺とともに曹洞宗江戸三箇寺のひとつ。忠臣蔵の赤穂浪士の47人の墓があることで有名。慶長17年(1612年)に徳川家康が創建したので、400年以上の歴史がある。が、寛永18年(1641年)寛永の大火で焼失してしまう。その後、徳川家光が毛利・浅野・朽木・丹羽・水谷の五大名に高輪の地で再建させたそうな。
忠臣蔵(赤穂事件)とは
赤穂事件(あこうじけん)は、18世紀初頭(江戸時代)の元禄年間に、江戸城松之大廊下で高家の吉良上野介(きらこうずけのすけ)義央に斬りつけたとして、播磨赤穂藩藩主の浅野内匠頭(あさのたくみのかみ)長矩が切腹に処せられた事件。さらにその後、亡き主君の浅野長矩に代わり、家臣の大石内蔵助良雄以下47人が本所の吉良邸に討ち入り、吉良義央、 小林央通、 鳥居正次、 清水義久らを討った事件を指すものである。
赤穂事件よりも「忠臣蔵」のほうが認知度が高いが、正確には忠臣蔵は赤穂事件を基にした人形浄瑠璃・歌舞伎の『仮名手本忠臣蔵』の通称なので、史実を語るときは”赤穂事件”のほうが使われる。
「なんで品川周辺に赤穂浪士四十七士のお墓が?」と思ってお寺近くの売店の方に聞いてみたら、赤穂藩主浅野家の菩提寺なんですって。
※菩提寺とは:先祖代々のお墓があって、法要を営むお寺のこと。たとえば、徳川家の寛永寺や増上寺がそれに当たる
ぽつーんと寂れた場所なのかな…人はいないだろうな…と思って行ってみたら、たくさんの参拝客が訪れていた。
外国人の方々もチラホラ。一人ひとりの墓に線香を供えている方もいらっしゃって、今も人々の記憶に強く刻まれているのだなと思った次第。境内には赤穂浪士ゆかりの品を所蔵している「赤穂義士記念館」(入場有料)もある。
毎年4月初旬と12月14日(赤穂事件発生日)には義士祭が催される。
ここは個人的にかなりオススメしたい場所だ。泉岳寺の歴史をより詳しく知りたい方は、泉岳寺公式サイトをどうぞ。
高輪神社
東京都港区高輪2-14-18御祭神:宇迦御魂神・誉田別命・猿田彦神
泉岳寺駅から南へ、品川方面に向かっていくと第一京浜沿いにある。マンションとビルの間が入り口で、やや細いので見落としそうになる。
創建年代は不詳だが、明応年間(1492-1501)の創建と伝えられていて、高輪の総鎮守社だそう。紆余曲折あってから昭和4年に社号を稲荷神社から高輪神社へ改称した。昭和55年に太子堂、稲荷社、庚申堂そして高輪地内の八幡社を合祀し現在の高輪神社となった。
参道に入ると大きな石鳥居が建っていて、「了寛文七年未三月二十二日(1667)奉建立華表太子講 江戸石方惣中」と書かれている。四代目の徳川家綱の時代だ。
階段を登ったところにお社がある。周囲の建物に守られるように建っていてちょっとびっくり。こんな場所が高輪にあったとは。
なんと、御祭神のひとつに聖徳太子もあったりして、一体何がどうなったら聖徳太子と高輪神社がつながるのか皆目見当もつかない。歴史とはまことに摩訶不思議なものである。
ご利益としては、商売繁盛・千客万来、家内安全・交通安全、合格祈願・学業成就、健康祈願・病気平癒、安産祈願・子宝・子授け、厄除け・厄払い、開運招福・諸願成就…だそうな。
東禅寺
港区高輪3-16-16品川駅にけっこう近い。第一京浜を田町方向に行き、少々登った場所にある。臨済宗妙心寺派の別格本山で詳名は「海上禅林佛日山東禅興聖禅寺」(なんて読むんだ…?)。江戸四箇寺のひとつでもある。2010年2月、境内が国の史跡に指定された。
海がそばにあるわけでもないのに、なぜに海上?と思って調べたら、当時は第一京浜の向こう側は江戸湾が広がっていたから。そうか、今の東京はかなりを埋立地が占めるんだった。
ユニークなのは、幕末に日本初のイギリス公使館として東禅寺が使われていたこと。安政5年(1858)7月に帰結された日英通商条約がキッカケで、イギリス初代公使オールコックらがここに駐在し、日本最初のイギリス公使宿館となった。明治6年(1873)ごろまで15年ほど使用された。
ちなみに東禅寺は多くの大名の菩提寺でもあって、(一般公開はされていないが)今も諸大名の墓群がある。
- 陸奥仙台藩伊達家
- 伊予宇和島藩伊達家
- 伊予吉田藩伊達家
- 備前岡山藩池田家
- 備前赤穂藩池田家
- 備前鴨方藩池田家
- 備前生坂藩池田家
- 日向飫肥藩伊東家
- 信濃高島藩諏訪家
- 美濃加納藩松平家
- 大和柳本藩織田家
- 豊後臼杵藩稲葉家
- 豊後佐伯藩毛利家
とても静かでひっそりした場所だった。静かにお参りする観光客らしき方々が数名いる以外、ほぼ無音の世界だった。
ちなみに、東禅寺のすぐ近くに「洞坂」という距離はごく短いが、えげつない急坂がある。
法螺坂、鯔坂とも書くそうで、この地域の字(あざ)を洞村(ほこらむら)と呼ぶことに由来するらしい。自転車でお立ち寄りの際はぜひここもトライいただきたい。
あと、高輪公園もあってどんなステキな憩いの場なのかな?と期待して行ってみたが、少しの遊具とだだっ広い砂のグランドがあるだけだった。
丸山神社
東京都港区高輪1-21-10祭神 天照皇大神、宇迦之御魂命、誉田別尊、白山吡咩命、天児屋根命、秋葉大神
Google Mapsで「神社」と検索したら表示されたので行ってみたが、びっくりするほどこじんまりした神社だった。東海大学の門のほぼ正面にある。
しかし、主祭神は「天照皇大神(あまてらすおおみかみ、あまてらすおおかみ)」である。
ん?天照皇大神って・・・日本神話に登場する女神で、皇室の祖神で、日本国民の総氏神じゃん!すごい場所じゃん!総本社は神宮(伊勢神宮)の内宮だけど、全国各地にあるんだな~。そう思ってウィキペディアを見てみたら、
「天照大神を祀る神社」に丸山神社は書かれていなかった(あれ?)。
でも、丸山神社のウィキペディアページにはちゃんと「天照皇大神」が祀られていると書かれてある。
なので書き漏らしなのかもしれない。
オススメの観光スポットかどうかを率直に言うと……わざわざここ目当てに来るほどではない。
大石良雄外十六人忠烈の跡
港区高輪1-4-6赤穂浪士の中で、大石内蔵助良雄を含む17名が切腹をした場所
元禄14年(1701)の江戸城松之廊下の刃傷事件に端を発した赤穂事件は、翌年の15年12月14日の吉良邸討ち入りという事件につながる。吉良上野介を討ち取った大石内蔵助一行46名は、主君の浅野内匠頭の墓前に吉良の首を供えた後、幕府の命により細川家を含む4家に分けて預けられた。
※一名は途中で姿を消したので、47名ではなく46名である
大石内蔵助を含む17名は、元禄16年(1703)2月4日、幕府の命によりその日に全員が預けられた先で切腹をした。それがここ。
※10代の若者も…
細川家の高輪下屋敷の敷地は今は高松中学校となっているが、屋敷跡の一部は塀に囲んで保存されている。門は閉じられており、中には入れない。
ここもGoogleマップに導かれて訪れたのだが、かなり分かりにくい場所だ。何しろ、都営アパートの建物の敷地内にあって、住人しか足を踏み入れないようなところだから。
天気が曇りということもあり、物悲しい、寂しげな空気を感じた。切腹した場所は大書院舞台側、大書院上の間の前庭だそう。背後に池を背負った地で腹を切ったらしいが、池の跡はどこだか分からなかった。
自分しかおらず、「そっか、ここまでは人は来ないのか…なんかもったいないな…」と思ってたら、ご老人会のような集団のお爺さんとお婆さんの一行がぞろぞろいらっしゃって歴史を偲んでらして、あぁ…なんかいいなあ…と思ってしまった。
※仲間との史跡巡りっていいですね
ただ、最近はこういう傾向もあるそうな…。
◇ 気付けば「忠臣蔵」の人気や知名度が無くなってた(らしい)理由の考察など(トゥギャッター)
場所そのものはただの門の跡だけで、観光スポットとはお世辞にも呼べないが、泉岳寺から近いし、歴史好きなら足を伸ばして損はない。
承教寺
日蓮宗東京都港区高輪2-8-2
日蓮宗の僧だった日円(にちえん)により正安元年(1299年)に開山されたお寺。もともと港区虎ノ門あたりにあったが、江戸時代初めの承応2年(1653年)3月に現在の地に移転した。
江戸時代中期の延享2年(1745年)の大火に巻き込まれ本堂は焼け落ちたが、道路に面した山門、そのまっすぐ奥にある仁王門、境内にある鐘楼は焼失を逃れて現存している。
中は広いが山門部分はけっこう狭く、車だと見落としてしまうかも。
山門を入ってまず驚いたのが、ものすごく異様な形状と顔つきをした狛犬っぽい石像が。
いや、犬なのかこれ…と思って調べたら、「狛犬」ではなく「狛件(こまくだん)」というらしい。
狛件はもちろん架空の動物…というか妖怪の一種で、牛から生まれ、人間の言葉を話し、発する予言は必ず当たると言われている半人半牛の怪物。漢字の人と牛を足すと「件」になる。(おぉ…)
この妖怪、生まれてたった数日で死ぬ。その間に作物の豊凶や流行病、旱魃(かんばつ)、戦争の様々な予言をし、それは間違いなく起こるという。妖怪ではあるが、人を傷つけるとか、食うとかってタイプではない。預言者なのである意味有難い存在かもしれない。
その狛件がなぜ承教寺の山門を護っているのか?は分からずじまいなんだけど、かなりインパクトあるので高輪に来た際はお立ち寄りください。
蛇足だが、承教寺すぐそばにはメロンパン屋さんがあった。食べてはいないので味は分からないが、美味しそうである。
さらに蛇足として、「印刷屋さん」という名の印刷屋さんがあった。営業してるのかどうかは分からない。それにしても紛らわしい店名だ。
「名刺を作りたいけど、この辺に印刷屋さんあるかな?」
「だったら近くに印刷屋さんがあるよ」
「ほんと?何てお店?」
「印刷屋さん」
「うん、だから店名を知りたいんだけど」
「だから印刷屋さん」
「いや、そうじゃなくて…」 (以下略)
というやり取りを無駄に生んでしまっている可能性大。
カフェとか飲食店はほぼない
残念ながら、高輪ゲートウェイ駅周辺には(今のところ)飲食店はほぼ店はない。古い町並みが残るってのもあるし、そもそも商業区域でもないし、地元の人々以外はあまりいない印象。品川駅に寄って行けばルノアールはあったが、サイクルウェアで入る店ではない。あとはコンビニくらいか。
品川駅をさらに越えたところには、ハンバーグで有名な「つばめグリル」がある。
ここまでくると高輪ゲートウェイ駅は関係なくなってしまうが、自転車なら一瞬の距離なので、食事場所を探すなら品川駅か田町駅まで行くのがベターだろう。
高輪ゲートウェイ駅は2020年の春に開業予定。オリンピック前にこけら落としをするスケジュール感だ。まだ一年半あるので、徐々に町並みも変わっていくだろう。今後の発展に期待したい。
高輪ゲートウェイ駅の東側はとくにこれといったスポットなさげ
品川駅~泉岳寺駅間の東側(つまり海側)はとくに何もない。オフィスビル、住宅地、芝浦水再生センターがあるだけでわりと殺風景。品川シーズンテラスという超高層ビル(オフィス・商業複合施設)があり、ショップやレストランがあったが、サイクリングついでに行く場所という感じでもなさげ。2015年に開業していたそうだが、この場所の存在を今回走って初めて知った…。(たぶん今後も来る用事はない)
泉岳寺駅と芝浦水再生センターをつなぐトンネルが低すぎて笑う
これまたどうでもいい情報なのだが、泉岳寺駅と芝浦水再生センターをつなぐトンネルが地図上にある。山手線や東海道新幹線、横須賀線が走る線路の下にあるトンネルなのだが、通過しようとして思わず立ち止まった。
なんと、低すぎて自転車に乗って走れない。身長173センチの自分ですら前屈みにならないと歩けない。
車はセダンがギリギリ通過できる程度で、SUVとかミニバンは絶対無理。歩道があるので、歩いて自転車を押しながら通過したんだけど、何気に長かった(笑)。
電車が通過するたびに轟音で耳が痛くなる。まあ…自転車でわざわざ通る道ではないので、避けたほうが無難。なお、歩行者と自転車は両方向から通過できるが、車は一方通行である。
※泉岳寺駅方面からしか入れない
以上、高輪ゲートウェイ駅(仮称)周辺のサイクリングで立ち寄りたいおすすめスポットの調査結果である。正直、このエリア単体だけだとあえて来る理由はないので、田町→芝公園と北上し、東京タワーや増上寺、御成門、浜離宮あたりを組み合わせることをオススメする。
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コメント
コメント一覧 (5)
cyclegadget
がしました
以前,泉岳寺に住んでいました.
JR高架下の低いトンネルを第一京浜方面に抜け,右に行ったすぐの所に江戸への入口だった大木戸跡もありますよ.
https://ja.m.wikipedia.org/wiki/高輪大木戸跡
cyclegadget
がしました
あ、そんなシーンがあったんですね。(観てないのです。。)
まじで低くて、うるさくてビビりました(*^^*)
しまなみチャリダーさん
お読みくださり、ありがとうございます!(お住まいだったとわ。。)
そして情報もありがとうございます。「伊能忠敬はここを全国測量の基点とした」でもあるんですね。これはぜひ見てみたい・・・。今度品川を通りがかったときに立ち寄ってみます!
cyclegadget
がしました
東京三大豆大福の一つ「松嶋屋」があります。豆大福なのに「三大」ってなんなの?と思いますが。ちなみに、ならびにある虎屋(いわゆる虎屋とは関係ないみたい)もオススメです。
建築では蟻鱒鳶ル(ありますとんビル)も近い。
落語の「芝浜」を知っていれば、あの一帯の往時も想像できて良いかもしれません。
cyclegadget
がしました
いつもお読みいただきありがとうございます!
私も「虎屋ってあの虎屋なのかな…?」と考えてしまいました(笑)。
東京三大豆大福の一つ「松嶋屋」は気になりますね。。。今度行ってみよう。。。ふふふ
あーーーー、落語の芝浜は存じておりませんでした…!(教養の大切さをこういうタイミングで思い知るw)
cyclegadget
がしました