20代の若いサイクリストは、自分の寿命とか死期なんて考えたこともないと思うのだが、40代も半ばになると、「オレ(あたし)はいつ死ぬのかな~、何歳まで活きるのかな~」ということを年に数回ほど真剣に考えるものだ。
理由はよくわからないけど、たぶん、「40歳が人生の折り返し地点だから」だと思う。そして、つい先日に「3.11を迎えたから」だとも思う。
※左端の赤ん坊がオクサマ(よって、抱いている女性が義理の母。その隣が義理の父)
平均寿命はただの平均に過ぎず、長生きできる人もいれば、そうではない人もいる。病気や不慮の事故、確率は低いが災害や犯罪の犠牲になることだって考えられる。誰も正確に自分の寿命を予測できない。
年に数回はやってしまう、「自分はいつまで生きるのだろうか」という答えの出ない堂々巡りをしていたある日、cyclingtips に「Cycling was the force that kept me alive(サイクリングが私の生きる力となってくれた)」という、かなりシェアされている記事を見つけた。
ブラジルのサンパウロ在住の女性ジャーナリスト、Erika Sallum(エリカ・サラム)さんがガンを患い、そこから復活する熱い物語である。エリカさんがガンを発見したのはたった39歳のとき。
以下、彼女のリアルな言葉である。
chemoとはchemotherapyの略称。化学療法のことである。化学物質の選択毒性を利用して、疾患原因の微生物や癌細胞の増殖を阻害し、体内から駆逐することを目的とする医学的な治療法である。
大好きな自転車を諦めずに済んでのは、大きかっただろう。きっと胸をなでおろしたに違いない。
※化学療法したら頭髪が抜けると聞き、「だったら切ったる」と抜ける前から切ったエリカさん
mucinous carcinoma(粘液がん)で検索したら、「一部の内臓の内面を覆い、ムチン(粘液の主要な成分)を生産する細胞から発生するがんの一種」だとわかった。 そんなガンがあるなんて、知らなかった…。
そして化学療法が3月から始まった。
※復活したエリカさん
(経過観察中とはいえ)いまはガンから復帰されて何より。一度は三途の川を渡りかけたエリカさんは、ガンを発症する前と後では人生の考え方、過ごし方も変わってしまったと思う。
「Cycling was the force that kept me alive(サイクリングが私の生きる力となってくれた)」のサイトには他にもエリカさんの写真があるので、ぜひ見ていただきたい。
※赤ん坊時代のオクサマw
理由はよくわからないけど、たぶん、「40歳が人生の折り返し地点だから」だと思う。そして、つい先日に「3.11を迎えたから」だとも思う。
※左端の赤ん坊がオクサマ(よって、抱いている女性が義理の母。その隣が義理の父)
平均寿命はただの平均に過ぎず、長生きできる人もいれば、そうではない人もいる。病気や不慮の事故、確率は低いが災害や犯罪の犠牲になることだって考えられる。誰も正確に自分の寿命を予測できない。
年に数回はやってしまう、「自分はいつまで生きるのだろうか」という答えの出ない堂々巡りをしていたある日、cyclingtips に「Cycling was the force that kept me alive(サイクリングが私の生きる力となってくれた)」という、かなりシェアされている記事を見つけた。
ブラジルのサンパウロ在住の女性ジャーナリスト、Erika Sallum(エリカ・サラム)さんがガンを患い、そこから復活する熱い物語である。エリカさんがガンを発見したのはたった39歳のとき。
以下、彼女のリアルな言葉である。
「自転車に乗れなくなる。いったいどれくらい乗れないのだろう」…これが、ドクターからガン宣告をされた瞬間にまず思い浮かべたことだったわ。その次にchemo(化学療法:キモセラピー)とか、副作用による頭髪の抜けとか吐き気のことを考えたの。
chemoとはchemotherapyの略称。化学療法のことである。化学物質の選択毒性を利用して、疾患原因の微生物や癌細胞の増殖を阻害し、体内から駆逐することを目的とする医学的な治療法である。
治療の間、自転車に乗ってもいいですか?って主治医に訊いたわ。彼は「もちろんだよ。それはとても良いことだ」って笑顔で答えてくれた。
大好きな自転車を諦めずに済んでのは、大きかっただろう。きっと胸をなでおろしたに違いない。
※化学療法したら頭髪が抜けると聞き、「だったら切ったる」と抜ける前から切ったエリカさん
私はそれまでいたって健康だったし、フィットネスもしっかりしていたわ。タバコは吸わないし、お酒は付き合い程度しか飲まない。13年間たくさんサイクリングもした。
シャワー浴びていたとき、左胸にしこりを感じたんだけど、それが腫瘍だなんて思ってもみなかった。 それに私はまだ39歳よ?でも、ガンは年齢に関係なく起きるのね。mucinous carcinoma(粘液がん) って呼ばれる、65歳以上の女性にしか見られない珍しいケースだったのよ。
mucinous carcinoma(粘液がん)で検索したら、「一部の内臓の内面を覆い、ムチン(粘液の主要な成分)を生産する細胞から発生するがんの一種」だとわかった。 そんなガンがあるなんて、知らなかった…。
ガンが見つかったのが2016年1月。私はサンパウロにいた。手術が行われたのは2月。すべてが猛スピードで回っていったわ…まるでロードバイクのホイールのようにね。
そして化学療法が3月から始まった。
ニュージーランド人の彼氏は4月に出ていってしまったわ。「化学療法は”僕”の健康にとても良くないってことをインターネットで読んだんだ」って言い残して。それを聞いただけで、髪の毛が抜け落ちるかと思ったわ。なんてイヤな奴。
7月に、雑誌の仕事で女性のツール・ド・フランスの取材に招待されたの。禿頭&ガリガリに痩せた状態だったけど、行ったわ。あと、ついでにRapha’s Women 100 にも出場して来たわ、化学療法の途中だったけどね!
8月にはコルチゾンのせいで体中が膨れ上がったわね。そのせいで1キロ以上体重が増えたわ。で、9月に化学療法は終わった。私の新しい人生は10月から始まった。11月に弟といっしょにイランに行って、治療終了のお祝いをしたわ。
ガンの治療中もサイクリングは続けていたの。。サイクリングのおかげで正気を保って入られたし、ヘロヘロでペダリングもろくにできない時期に、友人のタリタは「あんたは最強の女だよ!」って山を登りながら励ましてくれた。涙が止まらなかったけど、漕ぐのは止めなかったわ。生き続けられたのはサイクリングがあったおかげ。
手術の数日前、世界チャンピオンのピーターサガンがブラジルに来たの。ほんの数分だけいっしょに走ることができたんだけど、その瞬間は悪夢だった治療の苦しみを忘れることができたわ。
その日、写真家で友人であるディエゴから「元気かい?」と声をかけられたんだけど、「あたし、ガンなの」って躊躇せずに伝えたわ。その数日後、パーティでディエゴにまた会って、彼から「君の闘病生活をドキュメンタリーにしてもいいか?」って頼まれたの。
彼は手術のときも、治療のときも、吐き気に襲われたときも、髪を切り落としたときも、辛くて泣いたときも、いっしょにいてくれた。
手術から1年が過ぎて、当時の写真を感謝の気持ちで見ることができるわ。治療の間励まし続けてくれて、サポートしてくれた友人らには本当に感謝している。
私のバイクはいつも私のそばにいる。月並みな表現に聞こえるかもしれないけど、本当のことだから言うわね。私は、私が思っているより強い人間なんだって自転車が教えてくれた。サイクリングは本当のにすばらしいものなの。
人生は続く。自転車のペダルが延々と回るようにね。坂はあっても乗り越えられるし、苦しんだ後には楽しい下りだってある。まだ治療経過を見ている段階だけど、ガンから私は生還できた。元の体型を取り戻すために努力もしているところよ。私は歩み続ける。何があろうとも。
※復活したエリカさん
(経過観察中とはいえ)いまはガンから復帰されて何より。一度は三途の川を渡りかけたエリカさんは、ガンを発症する前と後では人生の考え方、過ごし方も変わってしまったと思う。
「Cycling was the force that kept me alive(サイクリングが私の生きる力となってくれた)」のサイトには他にもエリカさんの写真があるので、ぜひ見ていただきたい。
※赤ん坊時代のオクサマw
コメント
コメント一覧 (5)
このまま順調に快癒されることをお祈りします。
と改めて思った。
週に一回か二回しか乗れないけど、乗ると体のあちこちが痛いけど、気持ちをリセットしてくれる。あと何年乗れるのかな?
本当、自転車って素晴らしい。
アニメ エンゼルビーツも毎回見る度に号泣している
自転車って心の浄化作用がありますよね…。嫌なことがあっても、1時間も漕いでいるとすべてを忘れることができるし、清々しい気分で帰宅できます。本当に生涯スポーツだと思います。
カディエ先生
お互い、年をとると涙腺が緩みやすく鳴りますよね…(^_^;)