9年9か月勤めたシックス・アパートを2016年3月末で退社し、2016年4月1日からfreee 株式会社に転職した。

自分は45歳(1971年生)で転職市場的にはキツイ年齢なんだけど、「やるなら今しかないっしょ」と思ってトライすることにした。「へぇ、中年オヤジの転職活動ってこんななんだ」くらいのテンションでごゆるりと読んでいただきたい。

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※前職のノベルティシール
 

ブログ好きが高じてブログベンダーに入社

2016年3月末までブログソフトウェアベンダーのシックス・アパートで働いていた。入社したのは2006年だったので、ほぼ10年間働いたことになる。
 

シックス・アパートはブログの会社だけあって、社員にはブログ好きが多い。自分もそのクチで、入社のキッカケは入社1年前に開始した趣味のサッカーブログ。当時は競合も少なくて3か月くらいで人気ブログになってしまった。全国の同好の士から反応をもらえるのがうれしくて、気づいたら365日連続更新をしてしまった。
 

それまでネットは=「見る(消費する)側」だったのが、ブログを境に「書く(創造する)側」になったことの面白さに自分はハマった。「ブログの面白さを他の人にも伝えたい、CGMの可能性を追究したい」って考えるようになり、ブログベンダーの会社の門を叩いた。それがシックス・アパートだったわけ。ちょうど10年前、35歳のときだった。


「ブログの会社に転職することにした。今住んでいる愛知県から東京に引っ越すぞ」って嫁に言ったとき、「ブ、ブログ?そんなものが仕事になるの?」って驚かれたけど、文句ひとつ言わなかったことには感謝している。当時はブログ=ネットの日記程度の認識が一般的で、そういう意味では嫁のリアクションはいたって正常だった。
 

マーケティング、営業、パートナーリレーション…からのオウンドメディア編集長

最初の数年はマーケに所属、次に営業そしてパートナーリレーションを数年、エンジニア以外のほとんどに関われた。自社製品の Movable Type の認知度アップ、新規ユーザーの開拓、自社サイトのコンテンツ拡充、デジタル&アナログの販促物制作。営業も代理店開拓もやった。自社のブログソフトウェアが幅広い企業で使われることで、「あぁ、情報発信者が増えているなぁ」と思えてうれしかった。
 

こういう言い方はナンだけど、自分はソフトウェアそのものの機能とか、競合製品と比べてどこが優れている(劣っている)とか、どの言語で作られているかはぶっちゃけ二の次で、「いかに多くの人が発信する側になってくれるか」を支援するほうに気持ちが向かっていた。
 

ネットリテラシーが高くなくても、アイデア一つで市井の人の言葉が有益なコンテンツになり、検索エンジンやソーシャルメディアを通じて何の接点もなかった誰かに読まれることができる。そう考えるだけでワクワクした。趣味のブログはシックス・アパート入社後も続き、(というかさらにヒートアップして)仕事と趣味の境界が限りなくゼロになっていった。
 

最終的にはシックス・アパートブログというオウンドメディアの編集長を務めさせてもらい、まさに好きなことで培った能力を開花させる場所を与えてもらうまでになった。当時の同僚と立ち上げた「オウンドメディア勉強会」は今では200名もの参加者が集うほどに成長した。

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※第1回目のオウンドメディア勉強会はこじんまりと開催

初回の勉強会はたった4名で自社会議室でひっそりと始めたんだけど、オウンドメディアの運営で悩む人が実は世間には予想以上にたくさんいて、その人たちの情報交換の場を作れたことはうれしく思っている。なお、オウンドメディア勉強会の運営はシックス・アパート退職後も関わり続けている。

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※口コミで徐々に拡大。参加は無料なので、興味ある人はこちらからコンタクトしてみてください。
 

自分は「コンテンツを作り、人を楽しませること」が根っから好きなんだと思う。2012年から始めた「サイクルガジェット」もそうで、39歳で始めたサイクリングにドハマりしたことで、「自転車の面白さをまだ知らない人のために!」という一心だけで運営して今に至る。
 

個人ブログは隔日更新しているので、週に3~4本書いていることになる。平日は5時に起きて出社前に原稿を書き貯めて、土日の早朝に画像を整理したり、原稿を修正したり、シコシコと記事を予約投稿する。そのあとに一人編集会議で翌週のネタをブレストし、ネタ帳に記載する生活がここ4年続いている。
 

1日をフルで休んだ生活は記憶になく、盆の帰省であろうが正月三が日だろうが関係ない。常にネタ集めのアンテナは立てているし、隙間時間があれば記事のドラフトを書く。他人のブログや海外ニュースを読んで情報収集したり、写真を撮影しに外に出る…ということを年がら年中やっている。
 

「そんなことして辛くないですか?やめたくなりませんか?」と人から言われることはあるけど、好きでやっているので苦労ではない(もちろん、楽ではないけどね)。嫁は「平日は5時に起床して仕事で夜遅くに帰宅して、土日はブログ書いて、その隙間を縫うようにサイクリングして……あなたいつか過労死するよ」と呆れているけど、彼女はわかっていない。好きなことをしまくって過労死する人などいないということを。
 
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ちなみに昨年の健康診断の結果はオールAだし、この6年間で病欠はゼロ。これも自転車のおかげだと思う。


こういう人間になれたのも、シックス・アパートで過ごした10年間と出会った方々のおかげだと感謝している。かけがえのない財産である。
 

45歳での転職活動は手遅れなのか?

前置きがものすごく長くなってしまったけど、そろそろ実際の転職活動について触れる。シックス・アパートでの仕事もよかったんだけど、もうワンランク上の規模のメディア運営をしたくなったのが大きな理由。自分の知識と経験でさらに愛されるメディアに成長させ、同時にビジネス成果も達成することに挑戦しようと考えた。
 

気になったのは、45歳というビミョーな年齢。転職市場では35歳限界説とか、37歳限界説とかいろんな説がメディアで取りざたされるけど、さすがに45歳限界説ってのはあまり耳にしない。ビミョーどころか、「ハードル高すぎかも」とは一瞬思った。
 

ふつうに考えて、45歳は転職を躊躇する年齢だと思う。一般的に40代半ばのオッサンは妻・子供の扶養家族を抱えて、住宅ローンはまだ残ってて、しかも教育費がかさんでくる時期だ。でもって体は徐々に無理がきかなくなり、どうしても守りの思考になる。つまり、経済的にも、肉体的にも、精神的にも冒険が難しい年代だ。
 

でも、ここでチャレンジを避けて無難な転職をしてしまうのはもったいないし、なにより面白くない。新卒入社のときも、シックス・アパートに転職したときもそうだったけど、いくつか内定が出た中で「一番面白そうなとこを選ぶ」がポリシーなので、今回もそうしようとだけ誓って転職活動を開始した。不安がなかったといったらウソになるけど、自分の専門性を活かせばきっと相思相愛になれる企業に出会えるって自信はあった。
 

なお、転職活動を開始する直前、土日をフルに使って10年間の仕事の棚卸しをして、職務経歴書をブラッシュアップした。同時にポートフォリオも刷新した。(なにしろ、かなり長期間にわたってアップデートしていなかったから)
 

この作業、脳みその隅っこをほじくる作業なので面倒だし、第三者がスッと理解できる言葉に落とし込むのはさらに骨が折れる。でも、ここがきちんと整理されていないと書類審査ではねられるって思い、人一倍エネルギーを注ぎ込んだ。
 

年齢がネックにならなかったわけではないが、たいした障壁でもなかった

転職活動してどうだったか?結論から言うと、活動開始から正式内定までに要した時間はちょうど1か月。エージェントは使わず、ほぼ Wantedly だけで企業を探した。あとは紹介等の人つながりで訪問したとこが数社。なぜWantedly 限定かというと、自分が志向する規模感と成長度合いの会社が多いと感じたから。
 

訪問した企業数は正確には覚えてないけど、ざっと15社くらい。メディア運営というピンポイントな求人ばかりに応募したこともあって、書類審査を通過した割合は7~8割くらいとまずまず。45歳って年齢がどれくらいマイナスに作用したかはわからないけど、肌感覚で言うと、お会いした企業の半分が「こっちの年齢を気にしてた」かんじ。(確認のしようがないのであくまで感触ね)
 

自分は年齢を気にして仕事はしないけど、相手はしてしまうかもしれないし、それを止めることはできない。年齢が理由でご縁がないのであれば、「アンコントローラブルな要素ではじかれたのなら、それは仕方ない」と割り切った。とはいえ、職種と自分のスキルをちゃんとマッチさせて活動したせいもあって、けっこうな割合で二次、三次面接に進めたし、最終的に3社以上から内定をいただいた。
 

相思相愛になりかけつつも条件面で折り合わず、破談になったところは数社ほど。正社員ではなく、業務委託契約を打診されたとこも何社あって、「複数社と契約するってのも悪くないかも」とも一瞬考えた。
 

いくつかお声がけいただいた中から、最終的に freee に入社を決めた。freeeを選んだ決め手がなんだったかを振り返ると、「彼らの熱意とスピード」に尽きた。自分たちのビジネスの価値を信じ、目標に向かって突っ走る姿勢は面接からもヒシヒシと伝わってきた。
 

仕事にかける熱意は面接したどの企業よりも強く、面接というより「この課題をどんな方法とリソースを使って克服するか?」のディスカッションに近かった。形式ばった面接ではなく、ブレストミーティング的なフレンドリーな会話に終始し、初回の面接開始5分で「この人たちと働きたい!」と強く思った。
 

驚いたのは意思決定のスピード。freeeは意思決定が恐ろしく早く、一次面接直後にすぐ反応があり、あっという間に二次の日程が決まり、その後の三次もすぐにおこなった。「前倒しで会いましょう!」と積極的だったことも好印象だった。
 

内定後から入社に至るまでの準備も極めてスピーディで、やるべきことが滞りなく進んでいくのも気持ちよかった。なにより、「ふだんの仕事もこんなスピード感でやっているんだろうな」って思わされた。(入社したら実際そうだった。freee社員の仕事の進め方はむちゃくちゃ早い)
 

しかも入社前にも関わらず、3周年記念パーティにもご招待いただけて、たくさんの社員と事前に交流することができ、入社後の仕事がスムーズに開始できたこともよかった。

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※原宿で開催されたfreee3周年記念パーティ
 

なんだか freee のことを褒めずぎなかんじだけど、ウソ偽りのない率直な感想である。
 

年齢なんて気にするだけエネルギーのムダ

数年前、「説明しよう。40歳になるとは、こういうことだっ!」って記事にも書いたけど、自分は自分で自分の年齢を意識しない。なぜなら面倒くさいし、エネルギーの無駄だから。先輩後輩関係は社会人には不要ってのが個人的考えで(もちろん、敬う心は必要だが)、年下でも自分にはない知識を持っている人は大勢いるし、誰からでも学ぶことはある。だから自分は誰に対しても基本的に一定のスタンスで接する。
 

どれくらい年齢を意識していないかというと、そもそも厄年を考えたことがない。というか、気がついたら厄年は終わっていた。
 

ちなみに、厄年について調べてみてわかったこと
 

  • .前厄・本厄・後厄の3年間(へえ)
  • 厄年は「数え年」で計算する。誕生月で歳をとるのではなく、お正月を迎える度に歳をとると考える(ほほう)
  • 男性の場合、数え年で25歳、42歳、61歳が本厄で、その前後1年ずつが前厄と後厄(人生に9年もあるの?)
  • 女性の場合、数え年で19歳、33歳、37歳、61歳が本厄で、その前後1年ずつが前厄と後厄(女性のほうが厄年が多いらしい)


個人的に好きなのが、ヒクソン・グレイシーの言葉。

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「私は時間の概念を知っているし、年齢の存在も知っている。でも、私は年齢を信じていないんだ。私には過去も未来も関係ない。どこでいつ生まれたか、今何歳で、いつ死ぬのか、そういう概念の外で生きようと思っている。時間を超越したところで生きたいと思っているんだ。私にとって大切なのは『プレゼンス=今』だ。ある人にとっては20歳は若く、80歳は年老いているかもしれないけれど、私はそうは思わない。私が信じているのは『今』だけだ。だから、私は年齢を考えたことがないんだ」


うーむ、実にかっこいい。自分もこういうふうに年齢を重ねたい。

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※freee社内のフットサル部の活動にも(いい年こいて)参加したり
 

freeeの最年長を更新したけど、それがどうした

freeeは若い社員が多く、エネルギーに溢れている。周囲が自分の年齢を気にして、距離をおいた接し方をしてきたら嫌だなあと思っていたけど、杞憂だった。20代前半の社員がフツーに話かけてくれて、立場とか経歴とか年齢を気にせず仕事してくれる。
 

自分はfreeeの最年長を更新してしまったけど、それが話題になることもない。自分も最年長らしく、えらそうに振舞おうなんてこれっぽちも思っていない。ちなみに役員紹介ページに執行役員の野澤が「freee 最年長者(2014年6月現在)」と書いてあるけど、これは間違いで正しくは自分(笑)。
 

入社初日に、freee代表の佐々木大輔に「どーもどーも、40代のおっさん同士、がんばっていきましょう!」って挨拶したら、「…僕、35歳なんですけど(;^ω^)」って苦笑いされたのはいい思い出(サーセン…)。ここでクビになってたら、ある意味伝説になれていた(笑)。
 

22歳の新卒のようにフレッシュに物事を見て感じて、彼らすら思いつかないアイデアを出して実行したい。発想力、創造力、企画力で新卒たちに負けないぞ。
 

転職先が決まったタイミングで、思いがけないオファーが届く

freeeへの転職が決まったのが2月下旬、それとほぼ同じタイミングでASUSさんから共同キャンペーンのオファーが届いた。自分の書籍『お父さんがキモい理由を紹介するね』を読んでくださったASUSのマーケティング長の方が、お声をかけてくださったことがきっかけで、動画制作キャンペーンをすることになった。
 

「3月はフルで有給消化して、旅行とサイクリング三昧でうっしっし」と予定していたんだけど、動画制作とブログ執筆でほぼ毎日仕事するハメになり、8年ぶりに予定していた妻の実家(沖縄)への旅行をキャンセルした(笑)。でも、なかなかできない経験なので、ASUSさんとのお仕事を優先した。
 

で、制作したのがこちらの動画。
 

「娘(中3)に「キモい」と言われたお父さんが、娘の卒業を祝う ビデオレターを作ってみた。」(メイキング編)



転職活動とは直接関係ないけれど、今回の転職活動と切っても切り離せない思い出深い出来事になった。
 

無我夢中で行動すると何かが起きる

話があっちこっちに寄り道したけど、今回の転職活動で学んだことは何かというと「ガムシャラに行動すれば道は拓ける」に尽きる。40歳を越えていようがいまいが、転職活動は疲れるしストレスのたまる行為。自分は1か月で終わったけど、なかなか疲れたのが正直な感想。
 

同年代の方々にもし何かしらの言葉を贈るとすれば、「(考えたり調査するのも大事だけど)とにかく動きましょう。行動し続けましょう」だろうか。思考と調査も行動ではあるんだけど、ここでの行動は外部に対するアクション(会社にコンタクトする、人に会う)のこと。
 

転職活動は楽じゃない。色眼鏡で見てくる面接官もいる。明確なフィードバックは受けられないし、自分の考えや選択が正しいのかどうかもわかんない。それでもたくさんの意思決定を毎日繰り返さなくちゃいけない。不安、逡巡、葛藤の連続だけど、それでも前進しないといけない。一発一発のパンチが届いているのかも、効いているのかもわからない。
 

「ちょっと休んで、ゆっくり考えようかな」と手綱を緩め、脇道に逃げこみたくなる瞬間はある。いったん行動も思考もやめて、落ち着く時間がほしくなる。でもそこで止まったら絶対にダメ。一度足を止めたら、再開にはもっと多くの力が必要になる。とにかく手を出し続けること。「ヘロヘロ状態で苦し紛れに出したパンチが、今思うと有効打だったかも」と思うこともある。ただの精神論っぽく聞こえてしまうけど、これは心底お伝えしたい。

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※いい仲間に恵まれた(freeeオフィスにて)
 

張り切って、オウンドメディア編集長やってます

今やっている仕事はオウンドメディア編集長。もともとは「経営ハッカー」の編集長として入社したんだけど、6月13日のプレスリリースにも出した通り、会社設立に必要な情報をワンストップでお届けする「起業ハッカー」という新メディアもローンチした。

freee代表の佐々木の起業ストーリー、ぜひ読んでいただきたい。
 

プレスリリース内からの抜粋になるけど、起業予定、起業直後、起業検討中の方々等、さまざまなステージにいらっしゃる経営者の皆様が本業に最大限のエネルギーを注ぎこめるよう、全力で縁の下の力持ちを相努めます。
 

なお、「転職」でAmazon検索すると14,000冊以上ヒットするけど、「天職」だと一気に400冊に激減するのが興味深かった。
 

以上、45歳のオッサン転職活動のリアルをお伝えしました!40代以上の方々のエールになれば幸いです。