今回はいつもの自転車ネタではなく、アメリカ留学の思い出話を書く。

英語が大事、英語は一生の武器になる」ってセリフ、ここ何十年も言われてる。自分も完全に同意で、英語力を身につけている見える景色が違うというか、与えられるチャンスの質も量も雲泥の差だと身をもって知った。

「具体的に英語を学ぶメリットってなに?」
「留学が人生にどうプラスになるの?」
「逆にマイナスはないの?」

自分の5年間のアメリカ留学経験をもとに、英語を身につけるメリット、デメリット、副次的効果、人生に与えたインパクトなどをお伝えしたい。

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/山の頂上にある母校の大学 in Georgia(元はホテルだった) \


※今回の記事は、イー・エフ・エデュケーション・ファーストさんのご依頼で執筆しています。イー・エフ・エデュケーション・ファーストといえば、皆さんご存じUCIプロチーム、「EFエデュケーションファースト・ドラパック」をスポンサードする企業! 

1965年、スウェーデンで『Education First (教育を第一に)』 をモットーに創業され、世界117か国で、海外留学、語学教育、学習研究、文化交流、教育旅行事業などを展開する、世界最大規模の私立教育機関です。

なお、スポンサー契約締結について、イー・エフ・エデュケーション・ファーストでは以下をおもな理由としているそうです。

They’re international. (国際色豊かなチームであること)
They’re globetrotter. (チームは世界中を旅するグローブトロッターであること)
They’re starts. (勝者だけではなくチーム全員がスターであること)
They’re loved. (世界中のファンに愛されるチームであること)
They’re good company. (可能性を信じて最良を目指す良き会社、スポンサー企業に支え られていること)


>>【UCI WorldTeam 2018】米国のチームEFエデュケーションファースト・ドラパック・P/Bキャノンデールは今季25選手が所属

学生時代を軽く紹介

1989年、日本の高校を卒業した3日後にアメリカのアイオワ州にある全寮制高校に入学した(日本人は自分だけ)。

現地の高校3年生(つまり1歳年下)に混じって勉強し、1年かけてTOEFL500点を超えた。1990年にジョージア州の四年生大学に入学し、1994年に卒業(専攻は心理学、社会学、生物学)したので、計5年間の留学生活を送った。

アメリカ留学を決心した理由

高校生時代、とくに取り柄のない普通の学生で自慢できるものがなかった。よって、自己肯定感も低め。

「このまま可もなく不可でもない大学に行き、しょうもない就職をするのかなあ」

と高校2年で考えてたあるとき、父が「留学ってもんがあるぞ」と新聞の切り抜きを見せてくれて「これがあったか」と思い、ほぼ直観的に「アメリカに行こう!」と決めた。べつに見通しや明確な目標があったわけではない。

決意してからは国内進学用の受験勉強ではなく、英語学習1本に絞って勉強した。

なぜ即決できたのか記憶が曖昧なんだけど、英語ができれば将来の武器になるという期待感と、未知の土地で暮らすのが面白くないわけがないという好奇心がそうさせたと思う。あと、日本に進学したい大学もなく、未練がなかったせいもある。

留学のキッカケはそんなライトなものだったけど、結果的は大成功で、自分の人生を激しく変えていった。

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※とうもろこし畑が州の大部分を占めるド田舎、アイオワ 

留学で得た最高の財産

よく「環境変えるだけでは人は変われない」って言うけど、半分本当で半分ウソ。あまりにもドラスティックな変化は人を強制的に変えてしまう。

日本人が自分以外におらず、全寮制で365日24時間英語使うしかない環境に放り込まれると、腹をくくるしかない。できる、できないなんて言ってる場合ではない。

留学で得られるのが英語力なのは当然なので割愛するとして、それ以外で鍛えられるのはなんといってもメンタル。

メンタルタフネスにもいろいろあって、語学習得の過程で得られるのは「自分に克つ」ほうのメンタルだ。その辛さを具体的に描写すると、「毎日死んで翌日強制的に生き返るループが延々と続く」に近い。

トム・クルーズ主演の映画「All you need is kill」を観たことある人はピンとくるだろう。主人公のトムは何度エイリアンに殺されてもすぐに生き返るという特殊な能力を持っていて、殺される度に敗因を学び、サバイバルスキルと戦闘能力を向上させていく。留学生活もそれに似ている



「授業のスピードについていけなかった」
「自分より英語がうまい他国の留学生にあからさまに見下された」

等の無数のショックを毎日浴びては自信が粉々になり、自己肯定感が殺される。でも、翌日は少し前進があって、かすかな自信が芽生える。「おっ、こないだわからなかったここが聞き取れたぞ」、「ニュースの内容が徐々に理解できてきたな」といった具合に。

しかし、そのちっぽけな自信は新たな課題によってその日のうちに打ち砕かれる。「こんな牛歩で俺は大丈夫なのだろうか…英語をマスターするなんて夢のまた夢なのでは…」と絶望しながら就寝する。だから留学間もない学生の夜はだいたいブルー。これが「死んでは生き返る」の正体。

言語をミッチリ学ぶのは人との競争ではなく、昨日の自分との戦い。励ましてくれる人はいないし、進歩を実感するまでには最低でも数ヶ月かかる。自信をつける(復活)→破壊される(殺傷)を延々と繰り返すことに耐え抜くと、あるとき急激な変化が訪れる。

自分の場合、前日まで聞き取るのに四苦八苦していたテレビニュースが、翌日脳内で革命が起きたかのようにすべて理解できた。その域に到達するのに自分は半年かかった。その後はトントン拍子で成長できたけど、留学最初の半年がもっともキツかったなあ…。

この「自分に克つ」メンタルタフネスは大きな財産で、その後の人生でずっと生きている。自分でやると決心したことはやり切れるパワーがついたし、行動して解決できるようになれた。何を専攻したかとか、成績がどうだったより、これこそが留学で得た最大の収穫だと思っている。

考え方の変化 & 価値観の大転換

留学のメリットとして、書籍や体験記で「多様な価値観に触れることで視野が広がる」がよく挙げられるが、これも完全に同意。日本では人に合わせる、集団に逆らわないのが是とされやすいが、アメリカは真逆で「自分の意見のないヤツはダメ」とされる。

中身が正しい、間違っているはわりとどうでもよく、自分の考えを持って説明できることがよい…という価値観を学んだ。これは衝撃だったと同時に喜びで、「自分をさらけ出してもいい。意見を述べるのに年齢も人種も関係ない。人と違っても拒絶されない」のが嬉しかった。

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※ルームメイトのジョン(左)とインド人留学生マックスと (自分は何をしているのだ…)

そういえば、海外の学生って群れることをしない(ゼロではないが)。ワイワイ騒ぎもするが、一人で過ごす時間も大切にしている。俺は俺、君は君とこちらも尊重してくれるし、自立心は同世代の日本人よりずっと高い印象だった。

社会人のほとんどを企画&マーケティング畑で過ごせたのは、マネをしない、他人の考えないアイデアを試す、批判を受けても信念を持って実行してみる、あえて逆張りで攻める…といった留学時代のスタンスのおかげだと思う。大げさな表現だけど、自分のアイデンティティでもある。

留学経験が社会人になってどう活きた?英語は役立った?

社会人2年目の夏、新卒入社した会社(現ソフトバンク)に株主企業(アメリカの通信会社)からアメリカ人上司がマーケティング統括長として来日した。

身長196センチ、ハーバードビジネススクール卒で大学時代にオリンピックのハンドボール代表選手としてソウル大会(1988年)に出場したというスーパーマンみたいな人だった。

社内に英語ができるのが自分だけだったので、「中山にやらせたら?」と白羽の矢が立ち、通訳兼マーケ部員として大抜擢される。当時の業務に辟易していたタイミングだったので、「そんなすごい人と仕事できるなんて!」と小躍りして喜んだ。

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※1995年の社員旅行にて(ノッポの上司と隣に立つボーダーシャツの自分)

このときほど、英語ができて良かったと思ったことはない。この人事がその後の自分の人生を大きく変えた。やるなら社会人留学でも遅くはないと思う。

その上司の元につき、みっちり鍛えられた。24年間の社会人人生で何人もの上司と仕事したが、この人を超える人はいない。自分にとっての師匠というべき存在。

この上司とは23年経った今でも交流がある。その上司も全く日本語がわからない、日本人のメンタリティも文化もわからない中で大きな責任を持っていたので、最初はかなり苦労していた。自分の留学生活に照らし合わせてその姿を間近で見てきたので、気持ちは痛いほどわかった。

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※2018年1月、職場に遊びに来てくれた元上司と

「日本人との建前と本音文化のせいで翻弄されたよなー」「でしたよねー」という、二人の間でしか語れない苦労話も多く、単なる上司&部下の関係を超えた戦友に似た感情がある。

資格はいつか身を助ける

大学入学に際して、当時必要だったのは高校の内申書とTOEFLだった(500点が大学入学に必要な一つのライン)。

いまはTOEICが基準だと思うし、留学生がそれに向けて勉強するのは当然として、英語検定も取っておくことをお勧めしたい。もちろん1級を。

「英検ってドメスティックな資格だし、べつにわざわざ取らなくてもいいのでは?」と思うかもしれないけど、日本で仕事する上で間接的に効果があった。

具体的には面接と書類審査。これまで5回転職しているのだが、毎回その効果を感じた(もちろんそれだけで採用が決まったわけではないが)。面接官も学生時代に英検を1回は受験したことがあって、1級の難しさを実感していることも影響している気がする。

多くの日本人はTOEICの点よりもむしろ英検1級所持のほうが「おおー」となりやすい(のかもしれない)。「空手、10年やってます」よりも「黒帯所持です」のほうがインパクトが強いようなものだろうか。

英検の資格やTOEICの得点がいつ役に立つかはわからない。でもチャンスは必ずやって来る。

自分に英語の仕事を与えられたキッカケは、人事部長の「そういえば、中山は英語が堪能だったな。あいつを呼べ」だったわけで、何が幸いするかわからないものだ。

ただ、英語検定1級は(自分で言うのも何だが)相当難しい。じつは、自分は1級を3度目で合格している。つまり2回落ちた。

英検1級には独特の出題傾向があって、重箱の箱の隅をつつくような難解な問いばかりでかなり苦労した。「こんな単語、アメリカで5年生きてきたけど1回もお目にかかったことないぞ!なんだこの表現?古典でしか見ねえぞ!」なのも出てきた。

アメリカの大学をつつがなく卒業し、ペラペラ状態で海外留学を終えて帰国したオレが1級を落ちるとは何事だ!なめてんのか!」と、何に対しての怒りかわからないけどブチギレて、ここで引き下がるわけにはいかんと奮起し、仕事の合間と休日を勉強にフルコミットして1年がかりで合格した。

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※1998年に三度目の正直で取得

あのとき、「ま、社会人になったらもう資格なんて無用の長物やし」と諦めていたら…いまの自分はいなかったかもしれない。

勉強も資格も若いうちがいい。厳密には結婚する前かな…子供が生まれたらいよいよヤバイ。資格勉強の時間を捻出するのは不可能とは言わないが、至難の技であることはつけ加えておく。

余談だが、TOEICは28歳くらいのときに物見遊山で何の対策もせず、思いつきでふらっと試験会場に行って920点だった。10年度、38歳くらいの2回目(このときも対策はせず)で935点。英検1級に比べて、TOEICってなんて簡単なんだろうと思った。

留学したことで失ったもの

つまり、日本で大学生活を送っていたら得られたであろうもののことなんだけど、少なからずある。

まずギャンブル。麻雀とかパチンコを知る機会がなかった。競馬競輪競艇も無知。まあ、積極的にハマるべきだとは思わないのでべつにいいのだが、大人の嗜み的なものを学ぶチャンスは失ったまま社会人になってしまった。

それとファッション。アメリカ人はとにかく服装が雑。ジーパンとTシャツ(秋冬はパーカー)だけですごすといっても過言ではない。それは男女ともにそう。日曜の教会礼拝とか結婚式とかパーティではスーツ(&ドレス)でビシッと決めるが、それ以外はいたってルーズ。

その習慣に慣らされたせいで、いまだにオシャレが苦手。上下の色の組み合わせはよくわからず、服を買うのが苦痛だ。店頭のマネキンを見て、「そのシャツに対してチノパンを履くのはアリなんだ…なるほど」と確認してからでないと何も買えないレベルである。

それと、カラオケの楽しみ方がよくわからない。狭い空間のベンチにびっちり座って順番にマイクを回し、思い思いの歌をシャウトする遊びが違和感しかなくて、社会人になってカラオケに行っても手持ち無沙汰ですることがなかった。

あと、先輩後輩文化もすっぽり抜け落ちている。なぜならアメリカの大学は社会人の出戻りもいるし、数年働いて学費を貯めてから入学してくる連中もたくさんいるので同級生の年齢がバラバラ。いちいち年齢確認しないし、年上だから敬語使うとかもない。

結論としては、失ったものは大したものではないので問題なし、だと思ってる。

いま、自分が18歳に戻ったら再び留学するか?

迷いなく「する!」と断言する。

学生にしか持てないリソースがあって、それは「時間と自由」。社会人になったら「生活」という強敵と常に立ち向かわなければならず、海外に行くチャンスは風前の灯となる。

「旅行すればよくね?金で解決できるじゃん?」

いや、その土地に住みつかないと得られないものがある。旅行はおいしいとこのつまみ食いでしょせんお客様扱い。留学は現地人となって棲みつくということで天と地ほど違う。サッカーに例えると、客として観戦するのとプロとしてピッチで戦うくらい違う。

今はネットがあって、メール、チャット、スカイプ、フェイスブック、SNS、なんでも連絡手段があるからちょー便利。ネットがない時代の留学に比べたら天国みたいなもんだ。なんせ手紙で文通してたからね。往復で最短2週間もかかった。ほんと、隔世の感がある。

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※手紙は今もすべて保管してる(捨てられない)

留学に加えて、自分が10代に戻れたらやりたいことナンバーワンは「世界一周」。バイトで金を貯めて、1年間休学して留学し、世界中を歩き回りたい。これ、学生時代にやっておけばよかったといまだに後悔している。

休学して失う1年なんていくらでも取り返せるけど、社会人になってからの1年の休暇はまず不可能。

行くとしたら、ヨーロッパ、南米、東南アジア、アフリカ…かな。全制覇は無理でも、1年あれば30カ国は余裕で回れると思う。自分の想像を超越した文化圏を味わう…これ以上に面白いことってないんじゃあるまいか。常識を粉々にぶっ壊される体験をしてみたかった。

タイムマシンで学生の自分に会えるとしたら、「1年休学して世界一周してこい!生涯忘れられない経験になるぞ!」と伝えてやりたい


余談だが、47歳になった今、サイクリングという趣味にドップリとハマっており、「ロードバイクで知らない土地に行く」ことがこの上ない楽しみになっている。

国内限定で、しかも東日本メインではあるけど、未踏の地に出かけて、見たことのない景色を目に焼き付けたいって願望が今も生きている。世界一周し損ねた後悔がそうさせているんじゃないかなと記事を書きながら思った。

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※2018年2月、千葉県のとある山頂で

生活と家族と仕事ともろもろの支払い義務を抱えたオッサンの自分は「日本国内をロードバイクで走破する」のが精一杯。

時間と自由がある若い人には、ちょっと背伸びして無茶なことをしてほしいと切に思う。